コンスタンティノープル千年
コンスタンティノープル千年―革命劇場 (1985年) (岩波新書)
- 作者: 渡辺金一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1985/06/20
- メディア: 新書
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さて、この本のプロローグは以下の文で始まります。28年前にこれを初めて読んだ時の一種のめまい、自分は今、歴史の中のどこにいるのだろう、というめまい、を今も私は覚えています。
イスタンブールから西に隔たること約百二十五キロ、マルマラ海に面して、今日、テルキダーという人口五万二千人ほど(1980年)のトルコの町がある。それがまだライデストスとよばれていた「ビザンツ帝国」(古代ギリシア都市ビュザンティオンの地に「第二のローマ」として建設され330年に発足したコンスタンティノープル――現在のイスタンブール――を首都とし、1453年までつづいた中世ローマ帝国のこと。「東ローマ帝国」ともよばれる)の十一世紀後半、ここに国が建てていた大穀物倉庫兼取引所を、町の住民が打ちこわすという事件があった。ミハエル七世ドゥカスとよばれた皇帝のときである。御多分に洩れず、この国でいわば日常茶飯事のあの革命が、この時もまたはじまったのである。
(1025年のビザンツ帝国(=東ローマ帝国)の領域)
「この国でいわば日常茶飯事のあの革命」というのがこの本の主題です。一般に専制君主であると考えられているビザンツの皇帝の地位がいかに不安定なものであったか、そしてこの帝国では革命がいわば合法的なものと考えられており、(合法なるがゆえに)革命にも一定の形式があり、その革命によってこの社会の均衡が保たれていたことを、この本は示そうとしています。叙述は、皇帝とコンスタンティノープル市民という2人の主役のさまざまな場面におけるやりとりを中心としており、物事が起こった年代順には並んでいません。そのため、私はこの本の購入後何年かあとにこの本に登場した出来事を年代順に並べ直してみたことがありました。それはそれなりにおもしろかったのですが、それはこの本の主題からは外れます。この本の主題は先に述べたことであり、時代をまたいで現れるいくつかのパターンこそ、この著者の関心事です。この本で知った皇帝と市民の間の微妙な関係に関する知識は、のちに古代ローマに関する本、特に塩野七生のローマ人の物語シリーズを読んだ時にも役に立ったように思います。
この国家では、皇帝制度そのものには誰ひとり異論をさしはさまなかったものの、そしていったん皇帝に就任した者は絶大な権力を持ったものの、皇帝の地位は最高度に不安定であり、皇帝はいつ足をすくわれるかもわからない状態におかれていた。事実、ビザンツ人歴史家が例外なしに繰りひろげる皇帝批判で俎上にのせるのは、皇帝制度自体ではなく、あくまでも、帝位についた個々の具体的な皇帝であった。したがって、こういう不安定な状態におかれた皇帝が、世論の動向に気をくばらずにはいられなかったのも当然である。
失脚した皇帝自身、大部分の場合、おどろくほどすみやかに、それを自分の運命とあきらめてしまい、自分たちになお残っているはずの支配の正当性をあえて主張しない。これは、かれらがそれをただ既成事実とうけとめているだけでなく、やがて第五章で見るように、革命を合憲的な国事行為と考えていることと、おそらく関わっているのであろう。
血統カリスマの観念は、原理としては、ビザンツ人と無縁だったといわなければならない。そして、いわゆる王朝の終焉とは、ビザンツ人がこの国で担っている重要な国政上の役割を思いおこし、(中略)本来の、元老院、市民、軍隊による新皇帝選挙を、文字通り実施してみせる過程に他ならなかった。
この本によれば、皇帝を選挙する権利を持つ団体は、元老院、市民、軍隊、の3つなのでした。皇帝が兵士たちに対して、兵士たちを皇帝選挙権を持つ者として扱うような演説もあるそうです。このような政治体制はなかなか想像しづらく、そのため私は非常に興味を持ったのでした。