映画 イミテーション・ゲームを見た

飛行機の中で映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を見た。

残念ながら最後まで見る前に飛行機が着陸態勢に入ってしまい時間切れで見えなかった。映画は、コンピュータの原理(チューリング・マシン)を考案したイギリスの数学者アラン・チューリングの生涯を、第二次世界大戦中の彼の活躍(それは当時ドイツ軍が使用していた暗号エニグマを解読するというもの)を中心に、少年期やその後彼を襲った悲劇をも描いたもので、見ていて感銘した。調べてみると史実と異なる点も多そうだが、脚本がとてもよい。同性愛者としての苦悩(当時のイギリスでは同性愛は犯罪として逮捕されるべきものだった)、それを知ってもそれにもかかわらず彼をよく理解してくれる女性の存在、第二次世界大戦の戦局を大きく好転させるほどの成果を出しながらも、それを戦後も続けて秘密にせよと迫る政府の情報局、同僚の中に存在するソ連のスパイ、少年時代に好意を持った同級生の死とその同級生の名前を暗号解読機につけたこと、冷戦、自分がソ連のスパイと疑われること、などなどいろいろな伏線が登場して、いよいよクライマックス、というところで時間切れとなったのでとても残念だった。どんな結末になっていたのだろう。チューリングは1954年に42歳で謎の死をとげるのだが、その謎をこの映画がどう描いたのか知りたい。当時の警察がいうように本当に自殺だったのか、あるいはチューリングの母親が主張したように事故だったのか、あるいは誰かに殺されたのか(政治的な理由から? 機密保持の理由から?)・・・・・。


映画の中で私が特に惹かれたのは、暗号解読機の姿だった。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/Bletchley_Park_Bombe4.jpg
それはこんなような姿だったと思う(画像は、http://en.wikipedia.org/wiki/Bombeより)。各ロータがガシャンガシャン言いながら回っては止まり回っては止まりを繰り返しているのだが、自動織機のようでもあり、コンピュータの祖形のようでもあった。回転しながら暗号キーを探索しているらしい。これは人の身長よりも高い機械で、私はそこに情報科学・情報技術の誕生を感じていた。以前、私は「コンピュータ創世記」なる文章をこのブログに書いたが、それを書くためにいろいろ調べていて感じたのは第二次世界大戦とコンピュータ誕生の間の密接な関係だった。コンピュータは軍事技術として開発されていた。私はアメリカにおけるコンピュータ開発の経緯しか調査していなかったが、この映画を見て感じたのは、この密接な関係はイギリスでも同じであった、ということだった。「コンピュータ創世記」を書いた時には、この時期におけるコンピュータ誕生の主要因は、大戦が技術者に対して膨大な資金供給を可能にしたことだ、と考えていたが、今は、暗号に象徴される「情報」というものが、そもそも戦争遂行に不可欠なものであり、情報科学は戦争と初めから親和性がある、という考えになりつつある。


情報科学は戦争の子である。今は日常の様々な局面に入りこんでいて我々の生活を便利にしているが、情報科学には暗い出自がある。



アラン・チューリングについて復習したいと思い、本棚から古い本(1997年)を引っ張り出してきた。

この本の「まえがき」を読んでいて、自分がこの時代(第二次世界大戦中と戦後間もない頃)のコンピュータ誕生に興味をもつのは何故なのか、それを明示しているような文章に出会った。

いったい20世紀半ばに何が起きたのか?
――まず、「生物も機械も、情報という観点からみれば同じだ」という、壮大かつラディカルな仮説があらわれる。ノーバート・ウィーナーの<サイバネティクス>である。同じ年*1、その大胆な粗っぽさを補うかのように、細心緻密なクロード・シャノンの<情報理論>が“情報”の一般的定義をこころみる。

19世紀の情熱家チャールズ・バベッジの夢想的アイデアを結実させたのは、やはり20世紀電子テクノロジーだった。まず、機械と理論に精通したアラン・チューリングが、コンピュータの数学的本質を明らかにする。*2そしてついにジョン・フォン・ノイマンが、持ち前の桁外れの数学的能力を存分に発揮し、人々をひきいて、一挙に現代コンピュータの原型をつくり上げてしまったのだ。
 こうして爆発的な情報文化時代のベースが築かれたのである。
 率直にいってサイバネティックス=コンピュータ文化とは、誕生したときから奇態なしろものだった。――思考する機械。脳神経系と電子通信制御系との限りない接近。――それは肉体のいわば内側に入りこみ、我々が世界を認知し、そこに意味や価値をみとめる基本的仕組みにまで触角をのばす。だから情報科学が、人間の欲望や倫理やエロスと交錯する問題次元を持つのも、いっこう不思議な事ではないのである。


「デジタル・ナルシス」西垣通 著 の「まえがき」より

*1:1948年

*2:強調は私