フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(5)
前回のエントリの最後の引用で「レエ(=ラー)はみずからの守護のためコブラのようにかの女(=ハトホル、太陽の目)を額につける。」というくだりがありましたが、これは要するに左の写真にあるような額の飾りのことを言っています。このコブラはウラエウスという名前がついています。ここから王の敵をほろぼすための火が出ると信じられていたようです。
さて、エレファンティネで祭られていたアヌゥキス女神は、この「太陽の目」と同一視されるようになったということです。では、引用の残りの部分をざっと見ていきましょう。
これら(=サティスとアヌゥキス)とクヌゥムの関係はどうもはっきりしない。サティスがその夫であることはたしかである。アヌゥキスは第二夫人というより、この夫婦の間の娘とした方がよいのかも知れない。けれども、こうしたすべての操作の年代があいにくと不明なのである。
フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より
要するにこういうことですね。上の引用で「サティスがその夫であることはたしかである。」はおそらく「サティスがその夫人であることはたしかである。」の間違いでしょう。
その次の記述は以下のようになっています。
オシリスがこの系譜のなかへ、いつ入りこんできたのかわからない。
同上
これは何を意味するのでしょう? 上の系譜の中にオシリスが割り込んできたということでしょうか? しかし、それについての説明がこの本にはありません。この本では叙述が以下のように続くだけです。
しかし、オシリスは、イシスが君臨していた小島フィラエの真西、ビゲーすなわちギリシアのアバドンに墓を一つもっていた。
同上
今度ひっかかるのは「オシリスの墓」という言葉です。「オシリスの墓」とはいったい何でしょうか? それに答えるにはオシリスとイシスの物語を紹介しなければなりません。
なお、フィラエ島はエレファンティネ島のすぐ近くにある島で、ユネスコの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の一部になっている、古代神殿を多く残す島です。
- (細かいことをいうと、本来のフィラエ島はアスワン・ロー・ダムが出来たときに半ば水没状態になっていたのを、アスワン・ハイ・ダム建設時に、近くのアギルキア島に神殿群を移築しています。ややこしいことに現代では、このアギルギア島をフィラエ島と呼んでいます。ですから、古代のフィラエ島はここから少し離れたところにあります。)
20世紀始めのフィラエ島。アスワン・ロー・ダムによって半水没状態にある神殿群
では、次はオシリスとイシスの物語を紹介いたします。