フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(4)

引用を続けます。

アヌゥキスは瀑布近辺の中心地としては最大のセヘル島を独占していた。この女神は、その高い羽毛の被りものがよく物語るとおり、まぎれもないアフリカ的性格をもっていた。しかし、これをサティスのようにエジプト化して、南の国にひきこもってしまった怒れる女神、それをエジプトの神々がどうしてもさがしにいかなければならなかったあの「太陽の目」に同化させてしまった。これらとクヌゥムの関係はどうもはっきりしない。サティスがその夫であることはたしかである。アヌゥキスは第二夫人というより、この夫婦の間の娘とした方がよいのかも知れない。けれども、こうしたすべての操作の年代があいにくと不明なのである。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より



私が最初にこの本を読んだ時に、最初に出会った難所が、上の引用で太字にした箇所です。『あの「太陽の目」』と言われても読者には何のことやら分かりません。実は、この本のもう少しあとの箇所(ナイル川のもっと下流に位置するデンデラのところ)にはこの「南の国にひきこもってしまった怒れる女神」の話が出てくるのですが、その箇所には今度は「太陽の目」という言葉が登場せず、読者はこの話が上述の箇所と関係していることに気付きにくくなっています。本当に不親切な本です。私がここの意味が分かったのは、たぶん本を購入してから(若かりし頃)数年後のことだと思います。では、この「南の国にひきこもってしまった怒れる女神、それをエジプトの神々がどうしてもさがしにいかなければならなかった」「太陽の目」の話を説明します。今回、このエントリーを書くにあたって英語版のWikipediaを見ていたらちょうどいい記述が見つかりましたので、まずはそれを引用します。以下の文中、「ラー」というのは古代エジプトで太陽のことで、同時に太陽の神のことをも意味しました。古代エジプトの神界で一番えらい神ということになっています。さて、こういうわけで「太陽の目」と「ラーの目」は同じものを指していると思って下さい。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/00/Sun_Disk_with_Uraei.jpg

ある時、彼は自分自身の拡張である「ラーの目」からの異議にさえ直面する。この「ラーの目」は女神の形で彼とは独立に行動することが出来るのだった。目の女神はラーに対して怒り、彼の前から去っていき、エジプトの地の外の野生で危険な土地をさまよう。彼女の不在によって弱くなってしまったので、ラーは力や説得によって彼女を連れ戻すために他の神々の一柱、シューあるいは別の説では、トト、あるいはオヌリス、を遣わす。ラーの目はソティス星に関係しており、ソティスのヘリアカル・ライジング(=太陽とともに地平線から昇ること)は、ナイル川の洪水の開始を告げるものなので、目の女神のエジプトへの帰還は、生命を与える洪水と対応している。彼女が帰還する時、女神はラーの、あるいは彼女を連れ戻した神の配偶者となる。


The reign of the sun god:Egyptian mythology---Wikipedia」より



目の女神がなぜラーに対して怒ったのかよく分かりません。全体に筋のよく分からない神話です。
さて、この「エジプトの神々」での記述は以下のようになっています。ところで以下の引用で「レエ」と書かれているのは「ラー」と同じです。古代エジプト語は子音だけしか表記しなかったため、その読み方がはっきりしません。そのため、同じ神を本によっては「ラー」と書いたり「レー」(あるいは「レエ」)と書いたりすることがあります。今の日本では「ラー」と表記するのが一般的なようです。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/Wall_relief_Kom_Ombo4.JPG

レエはまだ地上で生活し、みずから人類を統率していた。しかしその娘のハトル=トフェニスはエジプトのレエのそばには住まなかった。かの女は、目をらんらんと光らせ、敵の血肉をむさぼり食う獰猛なおそろしいライオンとなり、ヌビアの東方砂漠に住んでいた。レエは、かの女がその娘であり、かの女を愛しまたかの女の庇護をうるために、というのもかの女の力を知っているがためであるが、そんなこんなでかの女をつれもどそうとする。かれは、シウとトトにかの女のつれ戻し計画を打ち明ける。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より



ここでの記述では「太陽の目」は「ハトル=トフェニス」という名前の女神だとされています。これもややこしいことですが、ハトルという女神とトフェニスという女神が同一視されているのです。しかし、別の神話では別人(別神?)と考えなければならない場合も出てきます。それからもうひとつややこしい話があり恐縮なのですが、今の日本での普通の書き方ではハトルではなくハトホル、トフェニスではなくテフヌトと書きます。(ハトルはあるいは原書にはちゃんとHathorと書かれていたのを日本語に訳した人がハトルと読んでしまって訳したのかもしれません。)

トトはあらゆる魔術とあらゆる弁舌の主で、女神の怒りをしずめ、和らげることができた。二柱の神は、女神が住んでいる遠いブゥゲムの国へでかけて、かの女に近づくため猿に姿をかえた。かれらのそのときの話題の内容は、レエ、国土をつらぬくナイル、耕されて緑なす田畑、組織立って一つの国をなす村落や町々によってなる国、エジプトの完成についてであった。もし女神が帰国してくれれば、いくつも神殿を建て、そこで毎日かの女が常食としているカモシカや野生の山羊をささげるつもりである。さらに、酔って心を浮きたたせる酒もそなえましょう。前庭では音楽や歌や踊りもかかさないようにいたしましょう、などという。トトは、話に身振りをまじえ、はじめて酒瓶をさしだしそのなかに魔法の言葉を混入する。さすがの女神も、この二柱の使いの神がこぞってさしのべる誘惑には抗しきれない。にぎやかな行列が編成される。猿や、グロテクスな道化者の小人ベースとヒティも、竪琴やリュートを奏しながら一行に加わる。


同上

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/S_F-E-CAMERON_EGYPT_2006_FEB_01385.JPG




ベース


一行はまずフィラエに到着し、そこでおとなしくなった女神は、歌ったり踊ったりしながら振鈴(スィストル)とタンブリンの音で迎える女たちから、花冠のついた頭をうけとる。司祭たちも、背にカモシカを負い、酒瓶や花束や、没薬(ミルラ)や花冠を供しながら、竪琴とフリュートを奏して女たちに加わる。聖水で清められたライオンは、文字通り愛の女神となって、美しい顔立ち、ゆったりとした巻毛、まばゆいばかりの眼、豊かな胸をみせるのである。


同上

レエはみずからの守護のためコブラのようにかの女を額につける。こうして愛の女神となったかの女は、かつて血に飢えたライオンであったころのはげしい気性を抑圧した。


同上