エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(2):ミレトス建設

昨日は、古代ギリシアの時代にミレトスという都市がどうやって建設されたのか、というミレトスの起源に関わる伝説を集めてみたのですが、そこからぼんやりと見えてくるのは「アテナイ(=現代のギリシアの首都アテネと同じ)王コドロスの息子のネイレオスまたはネーレウスという男が、人々を率いてミレトスという町を建設した」ということです。この時、移住に参加した人々は「アテナイの市会堂(プリュタネイオン)から移住の第一歩を踏み出し」たこと、そして移住は平和的なものではなく、原住民を殺戮し追放して建設した血なまぐさいものであったことがわかります(「彼らは移住の際女を連れてゆかなかったので、彼らの手によって両親を失ったカリアの女を妻としたのであった。」)。カリアというのはミレトスのあった土地の周辺を住まいとする原住民の名前です。


ここでミレトスの位置を確かめておきます。現在ではトルコ共和国の沿岸部に位置します(今のトルコのアイドゥン県バラト近郊)。

  • この地図で「Mileto」と書かれているところがミレトスの位置です。


上記の人々はアテナイからここへ移住したわけです。では、アテナイ王コドロスとはどのような人物だったのか、それも述べてみたいとも思います。

アッティカ*1がペロポネーソス人*2に攻められた時、コドロスが父の後継者として王であったが、敵がデルポイで、アテーナイ王を殺さなければ、勝利を得るであろう、との神託を受けたことを、デルポイクレオマンティスKleomantisにより知らされ、貧しい身なりをして敵陣に近づき、兵と喧嘩して、わざと殺された。敵はこれを知って軍を引いた。彼の子メドーンが、その後、王となったとも、またこのような立派な王にはなんびとも後継者たるに価しないとして、メドーンは一生アルコーンarchonとなり、王制は廃された、ともいわれる。コドロスの他の子供たちはイオーニアIoniaに植民した。


高津春繁著 ギリシアローマ神話辞典 より


ヘロドトスの「歴史」にも、これに関連すると思われる記事があります。

ドーリス族のものがアッティカに到来したのは、これで四回目であった。(中略)最初の侵入は、ドーリス族がメガラ市を創建した時のことで、この出征を当時のアテナイの王位にあったコドロスの名にちなんで呼ぶのは、多分正しいのであろう。


ヘロドトス著 歴史 巻5、76 から


たぶんネーレウスは、自分がアテナイ王になるはずだと思っていたのに、メドーンがデルポイの神託によって王位を得たために、それに反発してアテナイを出て新天地を求めて今のトルコ側の海岸を目指したのでしょう。


このあとネーレウスがミレトス市の王になったのか、その後、その子孫が王位を継いだのか、については情報が得られていません。この頃は考古学的には暗黒時代と呼ばれていて、この時代のことはよく分かっていないのです。


さて、ミレトスは、原住民のカリア人を放逐して建設されたのですが、やがて内陸部にあるリュディア王国(上の地図では「LIDIA」と書かれています)が領土を拡張してきてミレトスを占領しようとしてきます。リュディア王国の首都はサルディスでした(上の地図では「Sardes」と書かれています)。

*1:アテナイを中心とする地方

*2:ペロポネソス半島の住民。ここではドーリス人の意味