サイバネティクス誕生時のペシミズム

30日の「薔薇十字団」で薔薇十字団をウィーナーのサイバネティクスに結び付けてしまいましたが、それには、なによりも「よみがえるウィーナー」で書いたような科学者の結社というイメージが私の中で作用していたためです。そしてウィーナー自身が「サイバネティックス」の中で、サイバネティクスライプニッツと結び付けています。(ライプニッツと薔薇十字の関係については、ここを参照下さい。

 この時期に、サイバネティックスの歴史に繰り返しあらわれる論理数学の影響がはいってくる。科学史の中からサイバネティックス守護聖人をえらぶとすれば、それはライプニッツであろう。ライプニッツの哲学の中心は、普遍的記号法と推理の計算法の密接に関連した二つの概念である。これらの概念から今日の数字の記号法と記号論理が生まれたのである。算術がそろばんか卓上型計算機を経て現代の超高速計算機にいたるまでの計算機の機構の根幹をなしているのと同様に、ライプニッツの'推理計算法’(calculus ratiocinator)は'推理機械’(machina atiocinatrix)の萌芽を含んでいたのである。事実、ライプニッツ自身、かれの先駆者パスカル同様、金属部品で計算機械をつくることに興味をもっていた。したがって論理数学の発達をうながしたと同一の知的衝動が、思考過程の機械化をもみちびいたとしても少しも驚くに当たらない。
(「サイバネティックス、序文」から)

しかし、この一方でウィーナーは当時サイバネティクスの社会への影響について大変なペシミズムを抱えていました。自分がサイバネティクスという新学問構想を打ち出しておきながら、それが社会に与える悲観的な影響をも述べるというのは、自己矛盾、悪く言えばマッチポンプ、のようにもみえます。それでもウィーナーというのはそのような矛盾が味を出している人物だと私は思います。
ITのそもそもの原点でもあったサイバネティクスについてのウィーナーのペシミズムについては、あまり知られていないと思いますので、ご紹介したいしたいと思います。以下も「サイバネティックス」の「序文」からの引用です。

 このようにして新しい科学、サイバネティックスに貢献したわれわれは、控え目にいっても道徳的にはあまり愉快でない立場にある。既述のように、善悪を問わず、技術的に大きな可能性のある新しい学問の創始にわれわれは貢献してきた。われわれはそれを周囲の世間に手渡すことができるだけてあるが、それはベルゼン*(Belsen)(原注:ハンブルク近郊ベルゲンドルフに設けられたナチの強制収容所)や広島の世間でもある(CUSCUS注;「サイバネティックス」が出版されたのは第二次世界大戦終結からわずか2年後の1947年でした。)。われわれはこれら新しい技術的進歩を抑圧する権利をもたない。これらの進歩は今日の時代のものである。われわれがそれを抑圧しても、その発展を、最も無責任で欲得ずくの技術者たちの手に委ねることにしかならないであろう。われわれのなしうる最善のことは、この研究の動向と意義とを広く周知せしめ、この領域におけるわれわれ個人の努力を、生理学や心理学のように戦争や搾取からもっとも遠い分野に限定することである。

いたずらにペシミズムをあおるつもりはありませんが、これが何かの参考になればと思います。