ふたたびハドリアヌス

昨日、マルクス・アウレリウス自省録のことを書いたあと、自省録の第1章にハドリアヌスが登場しないことの意味をあれこれ考えていた。自省録の第1章は、さまざまな人との出会いを挙げ、それに対して感謝している章であるが、ここには、自分を養孫にし、未来の皇帝に指名した2代前の皇帝ハドリアヌスの名前が出てこない。これについて、ユルスナールハドリアヌス帝の回想」の訳者多田智満子氏も、南川高志著「ローマ五賢帝」も塩野七生氏の「ローマ人の物語XI 終わりの始まり」も自分の解釈を書いている。


まず多田智満子氏の「ハドリアヌス帝の回想」の解説から

・・・ただ、興味ぶかいのは、彼が『瞑想録』の中で、養父アントニヌスをはじめ自分の人格形成に多少とも貢献したと思われる人々にひとりひとり言及し、感謝の意を表しているのに、養祖父であり彼が帝位に即くことを最初に決めた当のハドリアヌスについては、(わたしの記憶に誤りがなければ)ひとこともふれていないことである。これは年齢の差が大きすぎ、マルクスがまだ少年のころにハドリアヌスが没したためでもあろうが、それよりも、この偉大な快楽主義者(ヘドニスト)には、純粋なストア派哲人の理解を絶する面があったのではないかと想像される。いずれにしてもいわば孫の代までも王座を定めておいたこの聡明な養祖父の影は、それについて語るにせよ語らぬにせよマルクス・アウレリウスの心に大きな問題を投げていたにちがいなく、彼の沈黙はスフィンクスの謎の大きさを示す以外のなにものでもないのではあるまいか。


それから、 南川高志著「ローマ五賢帝」には

しかし、『自省録』においてマルクスが謝辞をささげる人々の中にハドリアヌスの名はなく、『自省録』の他の箇所にハドリアヌスが言及される折も、その扱いに親しみの感情はみえない。これは当時の政治支配層一般に抱かれていたハドリアヌスに対する畏怖(あるいは嫌悪)の感情の反映なのであろうか。


最後に塩野七生氏の「ローマ人の物語XI 終わりの始まり」

ハドリアヌスの百年後に生きた歴史家のカシウス・ディオは、自分の時代でもハドリアヌスが再編成した軍制はまだ充分に機能していた、と書いている。本格的な改造は百年に一度でよいが、手入れならば常に必要ということであった。この意味でのメンテナンスの必要性への自覚が、アントニヌス・ピウスには欠けていたし、マルクス・アウレリウスにも欠けていたのではないだろうか。・・・・ちなみに、『自省録』の中でマルクスは、アントニヌスに対しては想い出を暖かく長く語っているが、ハドリアヌスに対しては一言もふれていない。問題意識を共有するということは、社会上の地位の高低ではなく、もつ知識の量でもなく、このような事柄に対する感受性の問題ではないかと思う。


おそらくどの解釈も正しいのだろう。しかし私は、マルクスは戦陣で初めて、ハドリアヌスが国境を視察して防衛線を整備した意味、を理解したのではないか、と想像する。もしそうなら、何故『自省録』の第1章にハドリアヌスの名前がないのか、謎になってしまうのだが・・・・・