マルクス・アウレリウスとハドリアヌス

ふたたびハドリアヌス」で書き落としたことだが、塩野七生の「ローマ人の物語 XI 終わりの始まり」を読んでいて、マルクス・アウレリウスハドリアヌスの功績を認めざるを得なかったと思ったに違いないもう一つの場面に出会った。アントニヌスがシリア総督カシウスの謀反の後始末をしたあとの話である。

 総督に任命したヴェルスにシリアを一任した以上は、後は首都ローマへ帰るだけである。皇帝の一行は、今度は観光を兼ねた旅をつづける。(中略)スミルナからは海路、アテネに向った。
 マルクス・アウレリウスは、実に四十七歳になるまで、本国イタリアの外に出たことのなかった人である。(中略)イタリアのローマが、帝国の政治と経済と軍事の中心であれば、ギリシアアテネは、帝国の知性の生れ故郷であった。(中略)ストア派に傾倒していたマルクスにとっては、聖地を訪れるに似た想いであったろう。


ローマ人の物語 XI 終わりの始まり」塩野七生著より

そんな憧れの地に初めて訪れたマルクスであったが、

マルクス・アウレリウスはこのアテネで、文化的な施設を一つも建てていない。新設の必要もなかったのだ。ハドリアヌス帝の行った文化の中心地アテネの再建は、半世紀を過ぎても完璧な状態にあった。


(同上)

自分の憧れの地で、ハドリアヌスによる貢献を目で確かめたマルクスの思いはどうだっただろうか?