スパルタとアテネ―古典古代のポリス社会 (岩波新書 青版 760)
- 作者: 太田秀通
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1970/08/20
- メディア: 新書
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・・前6世紀のミレトスの詩人フォキュリデスの断片につぎのような句がある。
高所に秩序正しく治まる 小ポリスは、愚かなニネヴェにまさる。 (ディオン・クリュソスモス 36・11に引用)
著者はポリスは3つの理想、自由、自治、自給自足、を(完全に実現出来ないにしろ)持っていたといいます。そしてポリスの構成員には強固な共同体意識を求められていたと述べます。
・・・スコレー(暇)とは、生産労働からはなれて、市民としてのアレテー(良さ)を実現していくための時間的精神的ゆとりのことであり、民会に出て国家意志の決定に参加し、国家的行事としての宗教的祭典に参加し、体育訓練をし、ポリスの政治や学問について討論をして知見を深める、というような公共生活あるいは公共性の濃い生活を展開するためのゆとりを意味していた。
当然、このような暇の実現は奴隷制に依存しており、古代ギリシアの民主主義なるものは比較的少数の人々の間での民主主義でしかありませんでした。そこにこの社会のヒューマニズムの限界があったわけです。
この本を読んで感じたことは、人間の思想がいかに現実の社会に規定されるかということです。
私は三大悲劇作家(アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス)や政治家(アリステイデスとテミストクレス、キモン、ペリクレス)のアテネを、特筆すべき、と思う人間ではありますが、それらを生み出した社会の奥深いところに不平等を正当化する制度が組み込まれていることには複雑な思いを抱きます。
話は変わりますが、この本では、ペロポネソス戦争でいよいよアテネが敗戦を迎えるところを述べた以下の文章が印象に残っています。
ペロポネソス同盟諸市はアテネの降伏が近づいた時、スパルタで、アテネの完全破壊と全住民の奴隷化を求めたが、スパルタはペルシア戦争におけるアテネの功績を想起してこれを斥けたのであった。敵に憐れみをかけられねばならない敗北者アテネの生命を救ったものは、80年も前の彼自身の栄光であった。
敗戦のアテネの上空にかつてのアイスキュロスの悲劇「ペルシアのひとびと」の一節がよみがえったかもしれません。
おおヘラスの子らよ(注:ギリシア人のこと)、すすめ! 祖国に自由を! 子や妻に自由を! 古い神々の御社や父らの墓地に自由を! すべてはこの一戦できまるのだ。 (「ギリシア悲劇全集Ⅰ」人文書院、の中の「ペルシアの人々」久保正彰訳 より)