過ぎし日の本、来るべき日の本

三上さんのブログの最近の「本」をテーマにした内容が私の中の何かを刺激するのですが、悔しいかな、私の中からは何のまとまりも現れてこないのです。いや、こないと断言していてはいけない、ここはオープンマインドで、と・・・・・。


いざ北へ2008その20 mmpoloさんの応援歌:眼差しこそがすべてだ ----三上のブログ」での三上さんの言葉

私はブログを、ウェブを「もっと開かれた本」として毎日毎日、「生成する」のを楽しんでいるわけです。

からは、誰かの言葉(中国、清朝の誰かだったような)

  • 生々、これを易と謂う

を思い出しました。「易」(えき)は占いの易です。先日酔った勢いでSimpleAさんところにコメントで書いた「易」です。あれで私は何を言いたかったのかな。だいたい情報量の計算を間違えているし・・・。情報が発生する場というものを捉えたかったんだ、無極が太極になり太極が陰陽になるというところを・・・・・・。


「生成する」本というのは、いつまでも未完の本というわけでしょう。今度は、そこからの連想で、プルーストが「失われた時を求めて」を書いている時、どんどん話が大きくなり、発展していって、結局、今、出版されている「失われた時を求めて」にしたってプルーストが死んでしまったから今の形で出版されているのであって、著者がその後も生きていたら、もっと書き足していっただろう、という話を思い出します。(補足2 参照
そこから連想する話。
1つは美崎さんが実践されている個人史的な厖大な記録の蓄積は、21世紀における「失われた時を求めて」ではないか、というものです。「21世紀のプルースト、美崎さん」という言葉が頭をよぎります。三上さんのブログ自身にも「失われた時を求めて」っぽいものを感じます。いや、「『今』を失わないために」でしょうか?
もう1つは「失われた時を求めて」自体がブログの構造に適しているのではないか、というものです。つまりこの本自体がリンクをいっぱい張ったような仕掛けになっているし、物語が発展していくさまは直線的ではなく、リンク先にどんどん建て増しがされていくような、(うまく言えていないな)、そんな気がするのです。


上で述べたような本の発展方向を「来るべき日の本」だとすると、一方「過ぎし日の本」というのも気になります。


私は30年近く前のことだったと思いますが、古代エジプト関係の本で知った「天なる牝牛の書」なるものを読んでみたい、と強烈に思ったことがあります。これはエジプト新王国時代ファラオの墓の壁に描かれることが多かった文章で、内容は一種の神話なのですが(記録されたものの中では最古の神話と言われています)、この場合「天なる牝牛の書」とは、壁に書かれたものの元になった、おそらく巻物になっていたものを「書」といっているのでしょうか? それとも壁に書かれたもの(この場合、絵も一緒に書かれる)自体が「書」なのでしょうか? 本が本の形をしておらず、碑文であったり、壁画であったり、あるいは伝承文学のように、個々人の記憶の中にだけ存在する形態などのことも考えてしまいます。


やっぱり、あまりまとまっていない・・・・・。