ギリシア神話(下) 呉茂一

私にとってギリシア神話の大きな魅力の一つは、中心になる家系が一つではないということです。
日本神話では当然天皇家が他を圧した存在になっていて、物語がその家系の観点からしか語られないのですが、ギリシア神話では天皇家にあたる家系が複数存在します。このためこれはある一族にとって正義であることも別の一族にとってはそれほどの正義ではないような物語を可能にします。そして正邪では割り切れない世界の難しさが、神話の中に表現されます。
思いつく家系を述べれば、まずは、トロイア遠征のギリシア軍の総大将アガメムノーンとその弟メネラーオスの家系であるアトレウス家、英雄アキレウスの家系アイアコスの裔、それにトロイア戦争のもう一方の当事者であるトロイアの王家、あるいは、英雄ペルセウスヘラクレスの一族、アテナイの王家、悲劇オイディップス王で有名なテーバイの王家ラプタゴス家、あるいはピュロス王国のネーレウスの裔などを思い出します。これらの家系の人々が複雑にからみあっていろいろな物語が出来ています。それは物語の中の出来事を複眼的に見ることを促します。
こんなところが古代民主制の成立に影響を及ぼしているのではないか、そして、雄弁が尊ばれるのも、絶対的な正義(あるいは大義名分、あるいは建前)が自明でないからではないか、と思ったりもします。日本神話も八百万の神々が存在してギリシア神話に近い雰囲気がありますが、天皇家の圧倒的優位が複眼的な物語の発達を妨げたように思います。