古代エジプト人とネコ

3月6日のエントリー「うれしいマニアックなコメント」は、コメントを読んで始まった自分の連想の連鎖に、自分の筆が追いつかず、わけの分からないものになってしまいました。なぜ、最後にネコぼけの話が出てくるのか、読んでいる人には分からないですよね。


それはこういうわけです。
私が「古代エジプトの神々」で

文中登場する「あの『太陽の目』」とは何でしょうか? ここには説明がありません。

と書いたことに対して、とおりすがりさんが正しく

太陽の目とは、セクメト女神(人類滅亡神話より)ではないでしょうか。

と指摘したことにまず私はうれしく思ったのでした。このセクメト女神は牝ライオンの頭を持つ女神なのですね。(昔、上野の博物館に行った時に、セクメト女神の大きな石像があったと記憶しています。) そこから私はセクメト女神の神話を思い起こしていました・・・・・。



この女神は、エチオピアにいたのですが、父親のラー(太陽神)が呼び寄せます。2柱の神がラーの意を受けてエチオピアに向かいます。そしてセクメトに会って、エジプト文明のすばらしさを説明し、彼女が帰国したらどのような良いことがあるかを説明します。

もし女神が帰国してくれれば、いくつも神殿を建て、そこで毎日かの女が常食としているカモシカや野生の山羊をささげるつもりである。さらに、酔って心を浮きたたせる酒もそなえましょう。前庭では音楽や歌や踊りもかかさないようにいたしましょう、などという。・・・・・さすがの女神も、この二柱の使いの神がこぞってさしのべる誘惑には抗しきれない。にぎやかな行列が編成される。猿や、グロテスクな道化者の小人ベースとヒティも、竪琴やリュートを奏しながら一行に加わる。・・・・・一行はまずフィラエに到着し、そこでおとなしくなった女神は、歌ったり踊ったりしながら振鈴とタンブリンの音で迎える女たちから、花冠のついた頭をうけとる。・・・・・聖水で清められたライオンは、文字通り愛の女神となって、美しい顔立ち、ゆったりとした巻毛、まばゆいばかりの眼、豊かな胸をみせるのである。


古代エジプトの神々」 フランソワ・ドマ著、大島清次訳 より

こうしてライオンのセクメト女神は、ネコのバステト女神に変身するのです。

  • http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Bronze_Bastet%2C_Late_period.jpg


はい、ここで「ネコ」が登場しました。そこで、私はこんなことを考えました。ネコが(私の目には)エラそうに見えるのはトラやライオンの親戚だからかな、と・・・・。これもこの本に書いてあったのですが
「怒っているときはセクメト、機嫌のいいときにバステト」
という言葉があるそうです。ネコは時にはライオンになるような気が私にはします。


さて、このバステト女神の崇拝の中心地がナイルデルタ地帯の町ブバスティス(すなわち「バステトの家」)です。


それからヘロドトスの「歴史」卷2に、古代エジプト人の「ネコぼけぶり」の記事があったことを思い出しました。

火事の起こった際には、世にも奇怪なことが猫の身に起る。エジプト人は消火などはそっちのけで、間隔を置いて立ち並び猫の見張りをする。それでも猫は人垣の間をくぐったり、上を跳び越えたりして、火の中に飛び込んでしまう。こんなことが起ると、エジプト人は深く悲しみ、その死を悼むのである。猫が自然死を遂げた場合、その家の家族はみな眉だけを剃る。・・・・死んだ猫はブバスティスの町の埋葬所へ運び、ここでミイラにして葬る。


ヘロドトス「歴史」(上) 松平千秋訳 (巻2.66−67)より

つまり、古代エジプト人は火事が起こると、建物の心配よりもネコの心配をしたのです。そう言えば、古代エジプトでは猟犬ならぬ猟猫がいたという話も聞いたことがあるような・・・


それからネコの女神の町ブバスティスの大祭の様子も思い出しました。

エジプト人は国民的大祭を年に一度だけ開くというわけではなく、大祭は頻繁に行われる。中でも最も盛大に行われるのは、アルテミス*1のためにブバスティスの町に集まって祝う祭で、これにつづいてはブシリスの町におけるイシスの祭である。・・・・・
 ブバスティスの町に参集する時の模様はこうである。男女一緒に船で出かけるのであるが、どの艀(はしけ)も男女多数が乗り組む。カスタネットを手にもって鳴らす女がいるかと思えば、男の中には船旅の間中笛を吹いているものもある。残りの男女は歌をうたい手を叩いて拍子をとる。船がどこかの町を通るときには、船を岸に近付けて次のようなことをする。女たち一部の者が右にいったようなことをしている一方、ほかの女たちは大声でその町の女たちに呼びかけてひやかし、踊るものもあれば、立ち上って着物をたくしあげる者もある。岸沿いの町を通過するごとにこんなことをするのである。さていよいよブバスティスの町に着くと、盛大に生贄を捧げて祭を祝い、この祭で消費する葡萄酒の量は、一年の残りの期間に使う全消費量を上廻るのである。この祭に集まる男女の数は子供を除き、土地の者たちのいうところでは、総量七十万に達するという。


ヘロドトス「歴史」(上) 松平千秋訳 (巻2.59−60)より


よく考えてみれば、上の祭りは猫祭と考えてもよいのですね。そんなことなどを思い出したので、

古代エジプト人は実は猫ボケだったんですよ。

と書いたのでした。

*1:ここではギリシアの女神の名前を使っていますが、これはヘロドトスギリシア人だからです。これはエジプトではバステトにあたります。