答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(2)

答志島の名は、日本書紀にも登場します。仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后のところです。仲哀天皇というと、もう神話伝説の時代に入り、実在したのかどうかも分かりません。さて、どのような場面で答志島の名が登場するのかをこれからお伝えします。



仲哀天皇が香椎の宮(福岡県福岡市)に居て、熊襲(くまそ)との戦を進めていましたが、戦況ははかばかしくありません。その時に、一緒に来ていた皇后(神功(じんぐう)皇后)が神がかりして告げるには「天皇熊襲との戦いのことで憂えなくてもよい。もっと宝に満ち溢れた新羅(しらぎ)の国を授けよう」と告げます。天皇は高い丘に登って海を眺めたが、そんな国が見えなかったので、この神になぜ私を欺くのかと言いました。すると神は怒って「わが言をそしるのであれば、汝はその国を得ることはできないだろう。その代わり、今、皇后のお腹の中にいる汝の子がその国を得ることになるだろう」と告げました。仲哀天皇はお告げを聞かずに熊襲征伐を行いますが、敗北して撤退しました。そのうえ、翌年には急に病になって亡くなってしまいました。皇后は天皇が亡くなったのは神のお告げに従わなかったからだとお考えになり、もう一度神がかりして、どの神を祭ればよいのか尋ねます。神がかりする時にはその言葉を聞いて内容を確かめる人物が必要で、これを審神者(さにわ)と言いますが、この時は中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)という者が審神者(さにわ)を勤めました。
さて、この時に神功皇后に乗り移った神々が託宣を述べるのですが、その託宣の中に答志(たふし)という地名が登場します。神託ということのためか、ここでの日本書紀の文章は難解なものになっています。以下、原文を示します。


七日七夜に逮(いた)りて、及(すなは)ち答へて曰(のたま)はく、「神風の伊勢の国の百(もも)伝ふ度逢(わたらひ)の県(あがた)の拆(さく)鈴五十鈴(いすず)の宮に所居(ま)す神、名は撞賢木(つきさかき)厳之(いつの)御魂(みたま)天疎(あまさかる)向津(むかひつ)姫の命(みこと)」と。亦(また)問ひまうさく、「是の神を除(お)きて復(また)神有(いま)すや」と。答へて曰(のたま)はく、「幡荻(はたすすき)穂に出し吾(われ)や、尾田の吾(あが)田節(たふし)の淡(あわの)(こほり)に所居(を)る神有り」と。問ひまうさく、「亦(また)(いま)すや」と。答へて曰(のたま)はく、「天(あめに)事代(ことしろ)(そらに)事代(ことしろ)玉籤入彦(たまくしいりひこ)厳之(いつの)事代(ことしろ)の神有り」と。問ひまうさく、「亦(また)(いま)すや」と。答へて曰(のたま)はく、「有ること無きこと知(いさし)らず」と。是(ここ)に、審神者(さには)の曰(まう)さく、「今答へたまはずして更(また)(のち)に言(のたま)ふこと有(ま)しますや」と。則(すなは)ち対(こた)へて曰(のたま)はく、「日向国(ひむかのくに)の橘小門(たちばなのおど)の水底(みなそこ)に所居(ゐ)て、水葉も稚(わかやか)に出(い)で居(を)る神、名は表筒男(うはつつのを)・中筒男(なかつつのを)・底筒男(そこつつのを)の神有(ま)す」と。問ひまうさく、「亦(また)(いま)すや」と。答へて曰(のたま)はく、「有ることとも無きこととも知らず」と。遂に且(また)神有(ま)すとも言(のたま)はず。


岩波文庫 日本書紀(二)」の「日本書紀 巻第九」より

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)


では、これを現代語に訳します。

七日七夜たった時に、皇后に乗り移った神々が答えて言われるには、
「神風の伊勢の国の百(もも)伝ふ*1度逢(わたらい)の県(あがた)の拆(さく)*2五十鈴(いすず)の宮にいらっしゃる神で、名は撞賢木(つきさかき)厳之(いつの)御魂(みたま)天疎(あまさかる)向津(むかひつ)姫の命(みこと)である」
と答えられた。またお尋ねして、
「この神のほかにまだ神がおいでになりますか?」
と中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)が言うと、神々が答えて言われるには、
「旗のようになびくすすきの穂が出るように姿を現した我は、尾田の私の手首(=たふし)ではないが、その答志(=たふし)の淡(あわの)(こほり)にいる神である」
と答えられた。さらに
「まだおいでになりますか?」
とお尋ねすると、答えて言われるには、
「天(あめに)事代(ことしろ)(そらに)事代(ことしろ)玉籤入彦(たまくしいりひこ)厳之(いつの)事代(ことしろ)の神がおられる」
と答えられた。さらに
「まだおいでになりますか?」
とお尋ねすると、
「あるかないか分からない」
と答えられた。そこで、審神者(さにわ)の中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)が、
「今答えられないくて、また後で言われることがありますでしょうか?」
とお尋ねすると、答えて言われるには、
日向国(ひゅうがのくに)の橘小門(たちばなのおど)の水底(みなそこ)にいて、海草のように若々しいお姿の神で、その名を表筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)とおっしゃる神々がおられる」
と答えられた。さらに
「まだおいでになりますか?」
とお尋ねすると、
「あるかないか分からない」
と答えられた。そしてとうとう他に神がおられるとは言われなかった。


ここから分かるのは、何という神かは分かりませんが、祟りで天皇の命を縮めるぐらいの力を持つ強力な神が、答志島にいたということです。この神はどの神なのでしょうか?

*1:「百伝ふ」は「度逢」の枕詞

*2:「さく鈴」はおそらく「さくくしろ」の間違いで、「さくくしろ」または「さこくしろ」は「五十鈴」の枕詞