答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(3)

神功(じんぐう)皇后に神がかった神は4柱で、その2番目に出てきたのが「答志の淡郡(あわのこおり)にいる神」だということですが、これだけではこの神がいずれの神なのか分かりません。

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

私の引用した岩波文庫日本書紀の注では、この神を稚日女尊(わかひるめのみこと)としています。ワカヒルメのミコトは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の分身とも妹とも言われる女神です。なぜ、そう言えるのかというと、以下のような訳です。



この物語の先を読んでいくと、神功(じんぐう)皇后が新羅の国を降したのち、水軍を率いて瀬戸内海を通り都に戻ろうとするのですが、その時にはすでに男の子(のちの応神天皇)を産んでいました。そして、この子の異母兄に当たる2人の皇子たちが、このままでは自分たちの地位が危うくなると思い、皇后とその子を討とうとして軍を起こしていました。そのような状況下で神功(じんぐう)皇后は船を率いて難波に向かうのですが、船は海中でぐるぐる回って進まない、という出来事がありました。そこで武庫(むこ)の港(兵庫県尼崎市、西宮市あたり)に戻って神功皇后が占いをすると、またしても4柱の神々が登場するのです。その託宣する内容は、要するに自分たちをあそこに祭れ、ここに祭れ、ということなのですが、その神々の名乗りが以下のようになっています。
・1.天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)
・2.稚日女尊(わかひるめのみこと)
・3.事代主尊(ことしろぬしのみこと)
・4.表筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)


一方、「答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(2)」で紹介した託宣の中で登場する神々の名乗りは、順に

  • 一.撞賢木(つきさかき)厳之(いつの)御魂(みたま)天疎(あまさかる)向津(むかひつ)姫の命(みこと)
  • 二.答志の淡(あわの)(こおり)にいる神
  • 三.天(あめに)事代(ことしろ)(そらに)事代(ことしろ)玉籤入彦(たまくしいりひこ)厳之(いつの)事代(ことしろ)の神
  • 四.表筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)

となっています。


まず、4と四が同じ神であることが分かります。三の神も、3の神を美称で飾った名前だと推測できます。一の神が1の天照大神、ないしは、その荒御魂(あらみたま)と一致するかどうかは一の名前だけからは分かりませんが、この神のことを「神風の伊勢の国の百(もも)伝ふ、度逢(わたらい)の県(あがた)の拆(さく)鈴、五十鈴(いすず)の宮にいらっしゃる神」と形容しているので、これは伊勢神宮内宮を指しており、天照大神の荒御魂(あらみたま)の別名と解してよさそうです。そうすると、たぶん2と二が対応して、答志の神は稚日女尊(わかひるめのみこと)であると推測されるという訳です。


さて、ワカヒルメのミコトとはどのような女神なのでしょう? 私は、ある時、若い太陽の女神、という言葉が浮かび、そこから自分の妄想が一気に広がりました。それは何かというと、若い太陽とは、日の出のことだ、という思いつきから始まり、答志島は太陽が昇るところと考えられていたのではないか、という推測、そして、古代では、太陽は毎朝、若返る、という考えがあったのではないか、という考えが思い浮かび、さらに、先に「答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(3)」で紹介した柿本人麻呂の歌

  • 釧(くしろ)着(つ)く 答志の崎に 今日もかも 大宮人(おおみやびと)の 玉藻(たまも)刈るらむ

で、大宮人たちが玉藻(ワカメ)を自ら採取しているのは、神事のためにワカメを採っているのではないか、それというのもワカメを若返りの呪具として用いようとして採取しているのではないか、そして若返りを果たそうとしているのは持統天皇ではないか、というような考えが、一気に脳裏を駆け巡ったのでした。もとより、何の考古学的な証拠もない私の妄想です。



でも、私の思い付きを少し弁護しておきますと、ワカメを刈るのが神事だという考えは突飛ではありません。近くの二見浦の夫婦岩のある二見興玉(ふたみおきたま)神社では、藻刈神事(めかりしんじ)という海草を採る神事がありますし、さらに、夫婦岩の間から昇る朝日には特別な意味を付与されています。残念ながら二見興玉神社のご祭神はワカヒルメのミコトではないのですが、似たような神事と、日の出の場所としての意味づけが、近くの答志島にかつてあったとしてもそれほど突飛な推測ではないように私には思えました。


私の妄想はさらに進んで、答志島が太陽の神の島であるとすると、古代ギリシアにたとえればロードス島かな、と思ったりしました。そして、オデュッセイアに登場する太陽神ヘーリオスの島のことを思い出したりしました。

それというのも、彼らは自身の非道な所業ゆえ身を滅ぼした。
とは愚かな者らよ。虚空(おおぞら)をゆく太陽神の牛どもを啖(くら)いつづけたとは。
それで御神としても、彼らから帰国の季(とき)を奪い去られたのであった。


ホメーロスオデュッセイア」呉茂一訳 第一書

筑摩世界文学大系 (2)

筑摩世界文学大系 (2)

でも、この連想は、あまり答志島には当てはまらないようです。