答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(4)

今まで述べてきたように、私の勝手な想像では、答志島は太陽の女神ワカヒルメのミコトの君臨する聖なる島であり、そこは太陽が若返って昇る地であり、若返りのための神事が海草(たぶんワカメ)を用いて行われた地であり、西暦692年、持統天皇が伊勢に行幸した際に答志島に寄ったのは、ワカヒルメのミコトの勢威を畏しこんでのことであり、また、自分自身の若返りを図るためのことであった、ということになってしまいました。あとは、それを偲ぶよすがともなりそうな神社か遺跡があるといいな、と思いました。


答志島には主な神社として八幡神社と美多羅志(みたらし)神社があります。答志島には和具、答志、桃取の3つの集落と港がありますが、八幡神社は答志港に面する小島にあります。

答志島自体も島ですが、その近くにあるもっと小さな島です。答志島との間には橋がかかっていて、徒歩で渡ることが出来ます。私は10年ぐらい前に、答志港に上陸したことがあり、その時、八幡神社をお参りしました。柿本人麻呂の歌「釧(くしろ)着(つ)く 答志の崎に 今日もかも 大宮人(おおみやびと)の 玉藻(たまも)刈るらむ」を刻んだ歌碑は、この神社の境内にありました。八幡神社のご祭神は応神天皇で、応神天皇神功皇后の息子ですから、今まで述べてきた伝説とも関連するので私はちょっと「おお、これだ!」と思ったのですが、すぐこれではないと思いました。というのは八幡神社とか八幡宮というのは神社のなかで一番多い神社だと聞いたことがあったからです。清和源氏八幡大菩薩を自らの祖先であり守護神であるとしてあがめてきた関係で、武士の時代になると、さまざまな所に八幡神社が建立されるようになったわけです。おそらくこの神社も武士の世になってから勧請されたものでしょう。


・・・・とは言っても、と私は考え直しました。長い歴史の中で神社の祭神は変わるものだし、もともと聖地だったところにあとで別の祭神の神社を建てることもあり得る話なので、一概にここではない、と言えるものでもないだろう、そんなことも思いました。


もうひとつの、美多羅志(みたらし)神社のほうは、まだ行ったことがありません。10年ぐらい前に近くは通ったのですが、その時には興味がなかったのでした。残念なことをしました。ここのご祭神は天照大神スサノオのミコトが天の安河で誓約(うけい)をした時に得た8柱の神々(5柱の男神である、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)、と3柱の女神である、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと))です。残念ながらワカヒルメのミコトは、ご祭神ではありません。