答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(8)


もう、この話題で書くのはやめようと思った矢先に、この話題に関する新たなヒントを思い付いてしまいました。


それは神島のことです。神島は、この海域にあり、答志島と伊良湖岬の間に位置しています。

三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台のモデルになったところですが、ここには大晦日から元旦の夜明けにかけて行われるゲーター祭という祭が伝わっています。「ゲーター」とは「迎旦(げいたん)」の意味だという説もありますが、はっきりしたことは分からないようです。この祭では、グミの木(お菓子のグミとは無関係)で直径2m程の輪を作り、和紙で巻いて白い輪にします。この輪は太陽を表しているということです。元旦の夜明け前になると女竹を持った男たちが集まり、そこにこの輪を持った別の男たちが登場します。すると今まで待機していた男たちはこの白い輪の中に竹を差し入れ、上に高く持ち上げます。太陽が昇るのを表しているようです。しかし、これは実はニセの太陽だそうで、「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く。若し日輪二つある時は、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」という考えがこの祭りの背景にあるそうです。そして、それに従ってこの輪を最後に落とします。ある説では、これは南北朝時代の思想だそうです(百島百祭 #02 三重・神島のゲーター祭――離島経済新聞)。なるほど南北朝時代には実際に「地に二皇あるとき」であったので、これは南朝方のプロパガンダとして始まった祭かもしれません。というのは、伊勢神宮の外宮の一禰宜である度会家行は南北朝の動乱では、神皇正統記で有名な南朝方の北畠親房の味方をしていましたから、たぶんここ神島の支配者も南朝に味方していたのではないかと思います。(ところでこの祭は、1997年に県の無形民俗文化財に指定されました。)


でも私は最近、この祭を別な風に解釈したのです。つまり、この祭が元旦の日の出の直前に行われることから、この白い輪が表す太陽が死んで(あるいは没して)、甦った太陽が復活するのが(それは本物の太陽の日の出なのですが)この祭の意味ではないか、と思ったのでした。もしそうだとすれば、今、私が書いているワカヒルメのミコトの話につながると思ったのです。それで、思いついたら即、書こう、と思ってfacebookにこう書きました。

また、思いつくことがあった。今、ブログに書いているワカヒルメのミコトのこと。神島で行われるゲーター祭り。あれは、太陽の再生を物語る祭りであり、私が想定した「若返る太陽」という考えを表しているのではないか。
(2016/5/29)

そして、関係のある動画をググッて、そのURLを上の投稿に含めました。以下の動画です。

投稿した以上は、この動画を最後まで見なければ、と私は思ったので最後まで見ていました。そうしたところ、ある箇所でムムッと感じるものがありました。それでその思いを、またfacebookに書きました。

しかもビックリしたことに、太陽を表す、グミの枝をまるめて作った直径2mぐらいの輪のことを「アワ」と呼んでいた。私は、「田節(たふし=答志)の淡郡(あはのこほり)にをる神(=ワカヒルメのミコト)」の「淡(あわ)」や「粟嶋坐(あはしまにいます)伊射波(いざは)神社」の「粟(あわ)」を連想した。「あわ」は「太陽」だったのか? 「粟嶋(あわしま)」は「太陽の島」だったのか?
(2016/5/29)


この白い輪、ニセの太陽を表すと言われているこの輪は「アワ」と呼ばれていました。しかも、ニセの太陽ならば、地面に落ちたあと皆が寄ってたかって破壊するだろうと思っていたのですが、実際には大切に回収されて八代神社という島の神社に納められていました。ということは、これはニセの太陽ではなく、本物の太陽を表したものではないのでしょうか? であるとすれば、私がワカヒルメのミコトを追いかけて出会った「淡郡(あわのこおり)」や「粟嶋(あわしま)」という地名の「あわ」とは「太陽」を意味していたのでしょうか? 今までお話したように、ワカヒルメとは「若い太陽の女」という意味です。私には、何か出来すぎのような気がしました。それと同時に、この海域における古代の太陽信仰が、ただならぬものであったように思えてきました。