答志島にはワカヒルメのミコトが住むか?(7)

私は書いているうちに、この伊射波(いざわ)神社こそ自分の探していたワカヒルメのミコトのお社(やしろ)だと思えてくるようになってきたのですが、ここで、伊射波神社がそうであると思える理由と、そうでないと思える理由をまとめておきましょう。


伊射波神社が、神功(じんぐう)皇后に憑依して託宣を述べたワカヒルメのミコトの本拠地だと思える理由は以下のとおりです。

  • ご祭神がワカヒルメのミコトであること。
    • ただし、伊射波神社では、「稚日女尊」をワカヒルメのミコトではなくワカヒメのミコトと呼んでいるようです。
  • 延喜式神名帳」に記された「粟嶋坐(あはしまにいます)伊射波(いざは)神社二座」と同じ名前であること。
  • 延喜式神名帳」に記された「粟嶋坐(あはしまにいます)伊射波(いざは)神社二座」にある「粟嶋(あわしま)」と似た地名の「安楽島(あらしま)」に鎮座されていること。安楽島は半島であって島ではありませんが、陸路は行きづらく、感覚的には島に近いです。
  • 「加布良古(かぶらこ)崎」という岬の上に鎮座されていて、柿本人麻呂の歌にある「答志の崎」にふさわしい場所であること。
  • 稚日女尊(ワカヒルメのミコト)を海の道から加布良古崎へ祭祀したのがこの神社の起源」という伝承があり、これが答志島からの遷座を思わせること。




それに対して、以上のような推定に反駁するような事実は以下のとおりです。

  • 伊射波神社は古くは加布良古(かぶらこ)明神と呼ばれていて、古代・中世の史料に伊射波神社と呼ばれた形跡がないこと。
    • 「伊射波神社」という名乗りをしたのは1807年からだということらしいです。
  • 「伊射波神社」という名前と、ご祭神が「稚日女尊(ワカヒルメのミコト)」であるということが、出来過ぎていて、近世になってから(たとえば上に示す1807年になってから)、日本書紀の記述に合わせてこのように神社の名前とご祭神を決めた可能性があること。
  • 「粟嶋(あわしま)」と「安楽島(あらしま)」を同一視する根拠が弱いこと。



結局、私には、伊射波神社が、神功(じんぐう)皇后に憑依して託宣を述べたワカヒルメのミコトの本拠地だったのかどうかは分かりません。私の希望としては、答志島の中にそのような痕跡を見つけることがベストなのですが・・・。そして、今のところ次善なのが、この伊射波神社がかつては答志島にあり、それがここに遷ってきたと思うことです。