消化できていないけど書いてしまえ。私なりの「シュッポロ」へのエール。
ル・クレジオのマヤ神話(チラム・バラムの書)の序文から
真実の書物は魔術的なものである。それらは時のはるかかなたの外れから、濃い影となり、石碑のような姿となてやってくる。まるで夢の中、忘却のさまざまな黒い流れの間(はざま)で書かれたように、多くの象徴や記号を背負っている。なぜならばそれらは、一民族がふたたび睡りに戻る前に見た夢であるからであり、書物の項に書かれたものは、たとえその夢が終りを告げたとしても、なかば消えかかった謎の言葉として、われわれの手もとに届き、言語の始原の奥底で鳴り響いて、とても有り得べきものとは思われない、時の他の外れについて語り続けるからである。
魔術的な書物、焼かれる運命をまぬがれた書物が、なぜ存在しているのであろうか? 『勧告の書』『カントゥレの書』*1 『死者の書』『トナラマトル』*2 『ヴァラム・オルゥム』*3 『ポポル・ヴフ』*4 『チラム・バラムの書』 まるで他の世界から送られてきたようなこれらのメッセージは何を言おうとしているのだろうか? 言葉の過剰な世紀、科学の過剰な世紀に生きているわれわれに、それらは何を告げようとしているのだろうか? 今日、われわれは読むことも書くこともできるし、言葉は日常化している。しかし事態は常にそうではなかった。聖なる『チラム・バラムの書』は、かつて石や木に彫りつけられ、樹皮紙に描かれた一つ一つの記号が魔術的な言葉を語っていた時代のことを想い起させる。それらの言葉は、おそらく永遠に消え失せてしまったであろう。しかし何ものかが依然としてわれわれを不安にさせ、何ものかが顫動し、雲や息のように、書記体(エクリチュール)のあたりを通り過ぎる。それは幽霊だろうか、思い出だろうか、それとも依然としてそこ、記号のまわりにさまよっている言葉の魔術の変質しない力だろうか?
- 作者: ジャン・マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ,望月芳郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/09
- メディア: 単行本
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