神統記に登場するエトルリア

これは自分のための単なるメモ

BC8世紀のギリシア人ヘシオドスの神統記に、エトルリア(=テュルセノイ)人についての記述があるのを見つけた。これはイタリアに関するかなり早期の言及なのだろう。

また ヒュペリオンの息子太陽(ヘリオス)の娘 キルケは
不抜の心もつ オデュッセウスと愛を交わして
アグリオスと 非の打ちどころなく 力もつよいラティヌスを生んだ。
さて これらの(キルケから生まれた)者たちは 遥か遠くの 聖い島々の奥処で
栄えあるテュルセノス人らすべてを 治めていた。


文中に現れる「ラティヌス」は、ラティウム、ラテンの語源になる人物。ヴェルギリウスアエネーイスではラティウムの王として現れる。

一方、ヘシオドスと同じギリシア人(BC5世紀)ヘロドトスは、テュルセノイ人(=エトルリア人)は、小アジアのリディア人の分枝であると書いている(ヘロドトス 歴史 1.94)。

それによると、アテュスが王の時、リュディア全土に激しい飢饉が18年間続いたために、全国民を二組に分け、くじによってひと組は残留、ひと組は国外移住と決めた、という。国外移住組の指揮はアテュス王の王子テュルセノスがとった。彼らは船に家財道具一切を積み込み、食と土地を求めて出帆し、多くの民族の国を過ぎてイタリアのウンブリアに着き、ここに町を建て、引率者の名にちなんで自分たちをテュルセノイ人と名乗ることにしたという。


こんなことを調べる気になったのは、TEDの下記の動画を見ていて、このヘロドトスの話が登場したから。

しかし、この講演者の話の中では、この伝説は面白く脚色されている。