ウェブ人間論
- 作者: 梅田望夫,平野啓一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/12/14
- メディア: 新書
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また、シリコンバレーに対する見方も時間とともにいろいろ変わっていきます。私の知っているのは「半導体」のシリコンバレーであって「IT」のシリコンバレーではないから、という面もあります。
さて、この本ですが、対談の相手が平野啓一郎氏であるということがまず意外でした。そこに梅田氏のキャパシティの大きさを感じましたし、平野氏のキャパシティの大きさも感じました。読んで触発されたのは、たとえばハンナ・アーレントが登場するところ
平野 ハンナ・アレントというドイツの政治哲学者は、『人間の条件』という今から50年ほど前の著書の中で、言論と活動とによって結び合わされた人間関係を、図らずも「ウェブ」という言い方で評言しているんですね。
また、平野氏が「ネットでブログをやっている人の意識」は以下の5種類に分類できるという説を披露しているところ
- ネットでの活動がリアル社会との間に断絶がない人々
- リアル社会では十分に発揮できない自分の一面をネットで表現する人々
- 私的な日記として書いている人々
- リアル社会に抑圧された本音をブログで語る人々。
- 一種の妄想のはけ口としてネットの中だけの人格を新たに作ってしまう人々
も、おもしろいと思いました。作家ですから平野氏の関心は4や5にある訳ですが、梅田氏が可能性を感じているのは2なのでしょう。
梅田 ブログで日記を公開するという前提になった時に、リアル社会との連続性を持たせるか持たせないかという選択肢がありますが、日本の場合は社会に自由度が少なくて、むしろリアルな社会のほうで仮面をかぶって生きざるを得ないという感じがある。
というのにウンウンとうなずいてしまいます。
平野氏の論は
歴史的に見て、公的領域と私的領域という区別の発想が最も厳密だったのは、例えば古代ギリシアです。・・・・
そういうことが何で可能だったかというと、一つには奴隷制度があったからですね。・・・ところが、奴隷が解放されて、各人が経済活動を通じて自分で生きていかなければならなくなると、そうした衣食住という元々は私的領域と考えられていた問題が、公的領域を圧迫し始めて、最終的にはそれを消滅させてしまい、代わりに社会的領域というようなものを成立させる。これは実は、第一章でお話したアレントの分析なんです。その社会的領域では、経済活動が主になりますから、自分がどんな人間かというのを言葉を使って表現する機会がなくなってしまう。
というふうに続きます。私としてはこの方向への議論を自分なりに発展させたい、と思いました。社会的領域が元々私的領域であったという指摘や、「社会的領域では経済活動が主」になるという指摘は、重要なものに思えます。ネットから本来の公的領域が立ち現れればいいな、と思います。