エルゴード性とは?(5)

エルゴード性とは?(4)」の続きです。
エルゴード性とは?(4)」でマルコフチェーンの例を示して、この例の場合、現在の状態が0であろうと1であろうと、充分先の未来の状態の発生確率は一定になることを示しました。そこでこの0と1の列のエルゴード性を証明するために私は最初、次のように考えました。


上のグラフを見ると15回ぐらい繰り返すと状態0の発生確率が1/3、状態1の発生確率が2/3に近くなり定常状態になる。だから、これ以降は、サイコロを振っているのと同じ状態(例えば、サイコロの目が1か2ならば状態0、サイコロの目が3、4、5、6なら状態1と考える)になるので、「エルゴード性とは?(1)」で考えたサイコロの目をそのまま記録するやり方と本質的に変わらない。だからエルゴード的になる。・・・・・・・



しかし、この考え方は間違いでした。15回目ごろには定常状態になる、と言っても、それは現在から見た確率のことを言っています。15回目にどの状態になったかを確認すれば、それは0か1のいずれかの状態になっているのであって、1/3が状態0で2/3が状態1のなにやら混合したモヤモヤっとした状態が存在するわけではないのは、考えてみればあたりまえのことです。もし、15回目の状態が0であったならば、16回目も状態が0である確率は「0.8」(=80%)です。つまり16回目も状態0になることが結構確からしいのです。そうだとすれば、これはサイコロを振っているのとは大きく違います。何が違うのでしょうか? サイコロの場合は、毎回の確率が定まっているのに対して、この例の場合は、1つ前の状態が何であったかによって次の状態の発生確率が変わる点です。
ですから、サイコロを振るのと同じだからエルゴード的である、と結論してはいけないことになります。では、どうやってエルゴード的であることを証明すればよいでしょうか? また、そこから考えてみました。
エルゴード性とは?(6)」に続きます。