コンスタンティノープルの陥落

著者には悪いのですが、文庫本のそれも古本で売っているのを140円で買いました。著者1983年の作品です。「ローマ人の物語」では、もはやローマ人の精神を持つ人間が登場しないとして簡略にしか扱われなかったビザンティン帝国ですが、ここではビザンティン文明の終末を少しの同情を交えながら叙述しています。
第一章「二人の主人公」では、そのタイトルの通り2人の中心人物を登場させています。ひとりはビザンティン帝国最後の皇帝になる「名誉を尊びながらもおだやかな性質の、49歳の洗練された紳士」コンスタンティヌス11世で、もうひとりはトルコ帝国の、後世、大帝と称されることになる、21歳の冷酷なマホメッド2世(ふつうの歴史ではメフメト2世と呼ばれる)です。この2人が物語の主軸です。


第二章の「現場証人たち」に登場するのは、以下の人々です。


なぜ、これらの人々が現場証人なのかという疑問は「エピローグ」と題された章を読んだ時に解けました。これらの人々はコンスタンティノープルの陥落のあとも生き延びて、この大事件の回想録を書いているからなのでした。そう言えば、この本は一応、歴史小説に分類される本でしょうが、登場人物がほとんど全て実在の人物であるのが特徴的でした。それだけ著者が綿密に資料を読み込んでいる、ということなのでしょう。上記の人物の中でもコンスタンティノープル攻防戦を最も綿密に記録したのは、医師のニコロ・バルバロだったということです。これらさまざまな人間から見た攻防戦の様々なありようをこの作品は叙述しています。


ひとつの文明の死は、その文明の中で生きてきた人々にとっては世界の終わりのようなもので、それが崩壊した後の生活などは考えられないでしょう。しかし生き残った人々は崩壊後の世界をも生きていく。私はその体験に興味を持ちます。それはうまく言い表せないのですが、一種の解脱のようなものに思えます。

 早く皇帝の許にもどらねばと思いつつ、市内の予備兵をまとめるのに手間取っていたフランゼスは、陥落時、押し寄せてくる敵兵に囲まれて、まわりのギリシア兵とともども捕虜になった。実直で地味な性格どおりに、人目に立たない肉体の持ち主であった彼は、占める地位にふさわしい武装もしていなかったこともあって、トルコ兵たちは、捕えたばかりのこの男が、ビザンチン帝国の大蔵大臣であるだけでなく、皇帝の一の側近であったことに、まったく気がつかなかったようである。
 一介の兵士並みにあつかわれたフランゼスは、他の捕虜たち同様に二列縦隊につながれ・・・・主となったトルコ兵の天幕の外に、家畜の群れのようにかたまって過ごす一ヶ月を送ったのである。・・・・・・
 スルタンの馬丁頭の奴隷になったフランゼスは、まずはじめに、自らの自由を買いとる仕事にとりかかった。・・・・奴隷生活18ヶ月目にわが身の自由を買いもどすことができたのである。・・・・
 だが、息子と娘については、父親は、悲しい知らせしか得ることはできなかった。スルタンのハレムに入れられた娘は、そこでまもなく死んだということだった。また14歳になっていた息子も、スルタンの欲望を拒絶したために、殺されたのだと知らされた。
 もはやこれ以上トルコ人の国にとどまる意味も必要もなくなったフランゼスは、妻を伴い、ペロポネソス半島の一部を領する皇弟トマス・パレオロガスを頼って行った。そこで官職を与えられて住んでいたのだが、1460年、マホメッド2世がこの地をも征服した時に、トマスに従い、ヴェネツィア領のコルフ島に亡命する。・・・・・1468年、妻の死が契機か修道院に入った。そして、1477年に死ぬまで、修道士として生きながら、『回想録』を書きつづったのであった。この記録は、ビザンチン帝国最後の日々を知るのに、ギリシア側第一の史料とされている。