ローマは1日にして滅びず(29)
やっと、フリードリヒ3世まで来ました。「ローマは1日にして滅びず(11)」で、東のローマ帝国が、オスマントルコによるコンスタンティノープル陥落で滅亡した際に、私が、まだローマ皇帝はいる、と言って持ち出してきたフリードリヒ3世です。
ところで、このフリードリヒ3世、コンスタンティノープルが陥落したと知らされても、平然と庭いじりをしていた、という話が伝わっています。それならば、彼は、大まぬけか、大豪傑か、のいずれかに違いありません。で、はっきり言って、彼は大まぬけのほうでした。
ともかく評判が悪かった。ハプスブルク家歴代の君主のなかでこれほど不評を買った人物も珍しい。それが彼の魅力にすらなっている。
しかしだからといって間違ってはいけない。ここには逆説は一切ない。昼行灯フリードリッヒ、実は将来を見越した名君であった、ということは絶対にない。やはり愚図でのろまであった。おまけに陰険なのだから始末に負えない。・・・・彼は徹頭徹尾、冴えない皇帝であり続けた。
- 作者: 菊池良生
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そのうえ、彼は選帝侯ですらありません。ところが彼以降、神聖ローマ皇帝にはハプスブルク一門が独占することになります*1。しかも、彼のひ孫、カール5世の時には、スペイン、ハンガリー、チェコ、オランダ、それに新大陸を含む、広大な領域を領することになるのです。どうしてこんなことになったのでしょうか? ひとつにはこのフリードリヒ3世、長生きした、ということがあります。それでも敵は多くいました。彼に領土分割を迫る弟アルプレヒト、ウィーンを占領したハンガリー王マーチャーシュー、次期ローマ皇帝を意味する「ローマ王」に就けてくれと圧力をかけるブルゴーニュ公シャルル。フリードリヒ3世のもう一つのとりえは逃げることでした。とにかく逃げて逃げて逃げまる。そうすると不思議なことにいつも敵は先に死んでしまうのです。こんなことでやり過ごして、なんと気がつけば53年の間、ローマ皇帝の座に居座り続けました。50年も続けば、他の人々も一応は尊重する気になるでしょう。
と言うことで、第一のキーポイントは、長生き(+逃げる)、です。でも、それだけでは世界帝国は築けません。第二のポイントは、人口に膾炙したことわざ
「戦は他国にさせておけ。幸いなるオーストリアよ。汝は結婚せよ。」
という婚姻政策にあります。