天火明命(あめのほあかりのみこと)(3)

天の火明の命の、天上から地上への降臨の神話(要するに天降り)が載っている先代旧事本紀は、扱いの難しい本です。この本の序文には聖徳太子蘇我馬子が編纂したと書かれていますが、本文のほとんどが日本書紀古事記の引き写しから成り立っています。一部には古語拾遺からの引き写しもあります。古語拾遺が807年(平安初期)の成立なので聖徳太子の活躍した600年頃から200年以上のちの文章が引用されていることになります。そんなことはあり得ない話です。このため学問の進んだ江戸時代には先代旧事本紀は偽物(偽著)である、という判定がなされました。ところが、日本書紀古事記古語拾遺からの引き写しの部分を取り除いた部分も若干存在します。この部分が平安初期になってからの創作であるのか、それとも古代の伝承に基づいているのか、そこの判断が難しいところです。


さて、天の火明の命の天降りは、この日本書紀古事記古語拾遺からの引き写しの部分を取り除いた部分にあります。それによればニニギの命より前に天の火明の命が天降りしていることになっております。そしてその天降りには大量の神々がお供をしたことが先代旧事本紀には書かれています。この大規模な天降りがあったにしては、その後の天の火明の命の行動はぱっとしません。天の磐船(いわふね)に乗って、河内の国の河上の斑鳩の峰に天降りをしたあと、大和の国の鳥見の白庭山に移動し、そこでナガスネ彦の妹であるミカシキヤ姫を妃にするのですが、その姫から子供が生れる前に死んでしまうのです。なんじゃこれ、というような話の展開です。


また、先代旧事本紀では天の火明の命のことをニギハヤヒの命とも呼んでいます。ニギハヤヒの命というのは日本書紀古事記にも登場する神ですが、どちらの本もニギハヤヒと天の火明の命が同一の神であるとは書いておりません。どちらの本もニギハヤヒが天から降りてきたことは書かれているのですが、その系譜は不明です。そしてニギハヤヒの命は、古代の豪族、物部(もののべ)氏の祖先神です。天の火明の命とニギハヤヒの命が同一人物ならぬ同一神であるというのは先代旧事本紀独特の主張です。これは同時に尾張の連(むらじ)と物部の連(むらじ)が同族であるという主張にもなります。先代旧事本紀では天の火明の命の死を述べたあと

アマテルクニテル彦・天の火明クシタマ・ニギハヤヒの命はアメのミチ姫の命を妃として、天上で天香語山(アメのカゴヤマ)の命を生んだ。ミカシキヤ姫を妃として天降りしてからウマシマジの命を生んだ。

とあって、唐突に、実は天上にいる時に天香語山(アメのカゴヤマ)の命を生んでいたんだよー、と述べています。いかにも付け足しの感じのする記述です。私は先代旧事本紀の天の火明の命の天降りの話はニギハヤヒの命の話であって、つまりは物部氏の伝える伝承であって、尾張氏の伝える伝承ではない、と思います。それは最後になって付け足しのように尾張氏の祖先である天の香語山の命の記述を出していることも理由ですし、私は尾張氏は大和から移ってきたのではなく尾張土着の勢力であると思っているので、天の火明の命が天降りする山は河内ではなく尾張であるはずだろうと思うからです。


それでは先代旧事本紀尾張の神話を調査するのにまったく役に立たないかというと、そうではなく、この本には天の火明の命から始まる尾張氏の系譜が書かれているので、その点では貴重な文献です。