天火明命(あめのほあかりのみこと)(2)

天火明命(あめのほあかりのみこと)(1)」では記紀の記述の異同を示して複雑でしたが、まとめるとこういうことになります。

  • 天火明命」という表記と「火明命」という表記がある。
  • 天火明命」という表記の場合は(皇室の祖先である)ニニギの命の兄弟とされている。名前がニニギの命より先に登場することから、ニニギの命の兄とされる。一方、「火明命」という表記の場合はニニギの命の子とされる。
  • 天火明命」または「火明命」は尾張の連(むらじ)の祖先神である。「火明命」が尾張の連の祖であるとしているのは日本書紀の本文のみであり、日本書紀の第六の一書と第八の一書には「天火明命」が尾張の連の祖であるとしている。
  • 第六の一書によれば「天火明命」→「天香山(あめのかぐやまの)命」→尾張の連、という系譜が出てくる。

私は尾張の連(むらじ)の祖先は「天火明命」であり、皇室の祖先であるニニギの命の兄である、というのが尾張の連にとっての正しい伝説ではなかったかと思います。神話の話なのでどの話が事実として正しいか、という設問は無意味です。ここでは尾張の連の立場から見た神話がどうであったかを探っていきます。
さて、天火明命はニニギの命の兄だとすると、先に引用した古事記の記述は問題をはらんできます。

ここにその太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日天の忍穂耳(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ)の命(みこと)答へ白(もう)さく、「僕(あ)は、降りなむ装束(よそい)せし間(ほど)に、子生(あ)れましつ。名は天邇岐志国邇岐志天つ日高日子番の邇邇芸(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)の命、この子を降すべし」とまをしたまひき。この御子は、高木の神の女(むすめ)万幡豊秋津師比売(よろづはたとよあきつしひめ)の命に御合(みあい)して生みませる子、天の火明の命、次に日子番の邇邇芸の命にます。

古事記」より

これを現代語に直してみると

この時、アマテラスの皇太子であるマサカアカツ・カチハヤヒ・アメのオシホミミの命がお答えするには「私が天から降りようと支度している間に、子供が生まれました。名前はアメニキシ・クニニシキ・アマツヒコ・ヒコホのニニギの命といいます。この子を降ろしましょう」と申し上げなさいました。この御子は、高木の神の娘であるヨロズハタ・トヨアキツシ姫の命と結婚してお生みなさった子供が、天の火明の命、で次がヒコホのニニギの命でございます。

この場面は、アマテラスがオシホミミに「お前はこれから地上に降りていって統治せよ」と命令を下した時にオシホミミが答えた場面です。オシホミミは「私が天から降りようと支度している間に、子供が生まれました。この子を(私の代わりに)降ろしましょう」と言っています。しかし、最初に生れたのは天の火明の命でした。だとするとニニギの命ではなく天の火明の命が地上に降りるのが話の筋ではないでしょうか?
実は、先代旧事本紀という本には天の火明の命の降臨の神話が載っているのです。