137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯

題名だけ見ると、パウリというマッドな物理学者が錬金術数秘術にのめり込んで、おかしくなってしまいました、というような話を想像してしまいますが、パウリは量子力学建設時の立役者の一人で、ノーベル賞も受賞しています。けっしてあやしげな人ではありません。超一流の物理学者でした。私も一応、大学は物理学科でしたので、この本を読む前にパウリについては予備知識がありました。思い出すのは、パウリの排他原理とか、パウリが非常に怖い、他人の論文の欠点を容赦なく批判する、しかもその批判が合っているから、よけい怖い、という話(これはいろいろな人の本に書いてある)、晩年にハイゼンベルクと一緒に素粒子論の諸問題を解決しようとして「宇宙方程式」を作ったこと、などです。


一方、心理学者ユングは(私は大好きなのですが)悪く言えばオカルトにのめり込んだ、こちらはあやしげな人物です。この二人が共同研究をした、というのが、とても奇妙な組合せで、私がそのことを知った時には、かなり驚きました。それは、この2人が共著で出版した「自然現象と心の構造」という本が和訳されて本屋に出た時です。


アマゾンでのこの本のカスタマーレビューの多くでは、ユングに対するボロクソな批判が書かれていて、私としてはちょっと悲しいのですが、この本ではユングはわき役であり、この本はあくまでもパウリの伝記である、と考えて読むのが正しいのではないかと思います。この本の題名からは、マユツバものの怪しげな記述が登場すると思われるかもしれませんが、読んでいて、科学的に非常に的確な記述がなされているのに感心しました。また、同時に安心もしました。著者の関心は、科学者の創造性の中には非合理的な要素が重要な位置を占めているということを明らかにする、ということではないかと思います。それで思い出したのですが、ハイゼンベルクプラトン哲学を考えの基礎のひとつにしていましたし、別の量子力学の立役者シュレディンガーは、インドのヴェーダンタ哲学に詳しかったということです(私はシュレディンガー「生命とは何か」(名著です!)を読んでいて最後に突然インド哲学が登場することにビックリしてしまいました)。


時代の先端を走る物理学者というと、謹厳実直な人物を思い浮かべるかもしれません。しかし、このパウリという人は、その皮肉屋の仮面のしたに、多くの人間的な苦悩を抱えていたようです。そしてかなりのアル中で、生活も破綻しかけていたようです。そのことがパウリが心理学者ユングに助けを求めた理由なのですが。
一方、ユングはパウリが見る夢の中に、自分の心理学理論を実証するものが多数あるのに驚嘆し、この二人は医者と患者の関係から、人間の無意識を探求する共同研究者に変わっていくのです。二人の目指すものが厳密には一致していないこともこの本は丁寧に書かれています。私から見てもユングは非科学的なことをよく言ってしまいがちだ、と思います。パウリはユングに盲従していたわけではなく、自分の科学的センスに反することは受け入れず、拒否しました。この本によればパウリは友人にこんな手紙を出していたそうです。

私は物理学の夢を見るのですが、それらはユング氏が物理学について考えているものと変わりがないという点です。この状況が危険なのは、ユング氏が物理学に関してばかげた考えを発表して、そのなかで私の名をあげることすらしかねないからです。

パウリにとってユングは、自分の精神の安定には必要な人物でしたが、けっしてユングの考えに全面的に賛意を表するつもりはなかったのです(こういうふうに書くと私がユングを評価していないように思われてしまうかもしれませんが・・・・。私はユングを評価しています。)


この本はパウリの(かなり正統的な)伝記であり、その生涯の一部としてパウリの人生の中でユングと友情を結ぶに至った経緯も書かれたもの、と考えるべきでしょう。私は読んでいて、量子力学建設時の天才たちの(多くは20代の)人間的な、苦悩と挫折と栄光と、たぶんまた挫折に遭遇する、物語として楽しく読みました。


最後に題名の「137」という数字ですが、これは邦訳の題名としてつけられたもので、この数字はこの本の中の最初と最後のほうにしか登場しません。これは1/137が原子物理学に登場する微細構造定数であるというものですが、素粒子論が電磁場だけでなく、強い相互作用弱い相互作用、も含むようになった現代では、パウリ存命中にこの数が持っていた神秘的な印象は、かなり減少したのではないかと思います。ですので「137」という数字は忘れてしまってよいと思います。この本の原題は「The Strange Friendship of Wolfgang Pauli and Carl Jung(ヴォルフガング・パウリとカール・ユングの奇妙な友情)」です。