悪と徳と岸信介と未完の日本

悪と徳と 岸信介と未完の日本

悪と徳と 岸信介と未完の日本

岸信介というと「満州の妖怪」とかA級戦犯だったのに首相にまでなった人とか60年安保での敵役、というイメージしか長年持てなかった。自分が1959年の生まれなのでもちろん60年安保の記憶などはなく、はじめて意識に上った首相の名前は佐藤栄作だった。なので、これらのイメージは人づてに聞いたイメージであって自分の中にあまり根拠がなかった。
福田和也氏が書くのだから視点は保守的な視点から書かれているのだが、いろいろ自分の誤解をただすところがあった。「満州の妖怪」とか2キ3スケとか言われながらも岸が旧満州に滞在した期間は3年でしかなかったということや、東条内閣の閣僚であった時期に東条首相と対立して辞任の圧力をかけられるが辞任せずに東条内閣の総辞職までもっていったこと(岸だけの力ではないが)、戦犯容疑で逮捕されたが結局釈放されたこと、国家社会主義的な考えの持ち主だったことなどをこの本で知った。読んでいて著者が岸信介をかなり大きく評価していることが分かる。反対に著者の吉田茂に向ける目は厳しい。
題名の中の「悪と徳と」の部分は、「徳」をラテン語のVirtusの意味に、徳でもあり政治家としての力量をも意味する言葉として使っている。悪徳もひとつの徳だろう、ということだ。しかし、私にはこの「悪」の部分があまり書き込まれていないように感じた。
岸が敗戦後、自殺せずに生きながらえようとしたした理由を、自著の中で書いてあるように(この本にその部分が引用されている)

今次戦争の起こらざる得なかった理由、換言すれば此の戦は敢(飽)く迄吾等の生存の戦であつて、侵略を目的とする一部の者の恣意から起つたものではなくして、日本としては誠に止むを得なかつたものであることを千載迄闡明することが、開戦当初の閣僚の責任であることを痛感したからである。


岸信介の回想」

とするならば、その態度から、その後の対米追従の態度に至るまでの過程に本人の重要な転換があるはずなのだが、この本ではその理由をもっぱら外部環境の変化、要するに冷戦の激化に求めている。アメリカが岸を求めたのだと。
しかし(腹の中では何を考えているかは分からないが、表面上)それに応ずる姿勢を見せ、その面において有能さを示した側にはそれこそこの著者が言うところの「悪と徳と」が存在すると思うのだが、私にはそこが読み取れなかった。