孔子 貝塚 茂樹著

仕事の関係でよく台湾に行くせいで、最近になって中華文明に興味を持ち始めました。ところが私の今までの歴史への興味では中華文明というのはあまり知識がありません(つまり守備範囲ではありません)。どちらかというと、古代エジプト古代ギリシア古代ローマ、中世ローマ(いわゆるビザンチン)、ヨーロッパ王室関係(どこの貴族がどうなってこうなって、現イギリス王室はドイツのヴェルフェン家の出だとか、エジンバラ公ギリシア王室の出だとか、そんなトリビアルな知識)とか、東洋では日本と韓国、アメリカ大陸だとマヤやアステカ、あとは歴史ではないのですがポリネシアの一群の神話伝説、が今までの私の守備範囲でした。


中国についてはどこから攻めようかいろいろ試してみたのですが、最近になって、やはり孔子、と思い始めました。ふと自分を省みてみると私は、この本を読むまで、老子ほどにも孔子のことを知らなかったのです。論語も読んでいないし。


この本は1951年発刊の古い本ですが、まずは基本を押さえる意味で図書館から借りてきました。著者の貝塚茂樹氏は有名な中国史学者で、ノーベル賞物理学者の湯川秀樹氏の兄にあたる方です。


で、この本の内容ですが、まず孔子の生れた時代背景から説明しています。その時代、つまり後世が春秋時代と呼ぶ時代ですが、これが私の漠然とイメージする中国とは異なっていて、多数の諸国が覇を争い、知識人はある国に忠義だてすることなく、自分を高く買ってくれる国を探して遍歴する、流動的で活気のある時代です。私は何か古代ギリシアに近いものを感じて好ましく思いました。
著者は孔子の思想と行動がこのような都市国家並立の時代環境を背景にして現れていることを強調しています。もうひとつのポイントは、孔子復古主義です。孔子は諸国が分立する以前の周の時代を理想としてそこへの復帰を説いていたようです。このあたり、ちょっとプラトンを思わせます。


もうひとつ読んで思ったのは、(これは私が勝手に思ったことですが、)孔子は道徳を説くのに「君子」と「小人」を分けていて、「君子」に対する道徳を説いている点が、ニーチェの言う「君主道徳」と「奴隷道徳」を連想させる、ということです。こんな比較はかなり乱暴だと思いますし、論語に現れる「君子」の意味にはいろいろ変遷があることはこの本でも説明していることですが、この思いつきは私にはちょっと刺激になりました。ニーチェ孔子というのはおもしろいかもしれません。


でも、私にはこの本を読んでも、孔子がなぜ後世からあれほど崇拝されたのか、よく分かりません。私の理解力が弱いせいかもしれませんが。私には、図書館で一緒に借りてきたもうひとつの本

の主張である、孔子は、よくも知らない周の儀礼を自分ででっちあげ、自分こそ周を継いで新しい王朝を開くべき人物であると宣伝したが、武力のない孔子にそんなことは実現出来るはずもなく、失意のうちに死んでいった、そして、その無念を弟子たちが受け継いで後世ついには王にも等しい者になったのだ、という、ある意味冒涜的な解釈に、惹かれます。