線文字A

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線文字A
線文字Aは古代ギリシアで使用された文字体系で現在未解読の2つのもののうちの1つである。もう一つはクレタ神聖文字である。線文字Aはミノア文明の宮殿と宗教文書で使用された主要な文字である。それは考古学者サー・アーサー・エヴァンスによって発見された。それはのちにミュケーナイ文明で使用された線文字Bの起源である。
1950年代に線文字Bは大々的に解読されギリシア語の初期の形であることが発見された。2つの文字体系は多くの文字を共有しているが、このことは続いての線文字Aの解読には至らなかった。線文字Bに結び付けられた音価を線文字Aに用いることは主に不明瞭な単語を作り出している。もしそれが線文字Bと同じかあるいは類似した音価を用いているならば、そこにある言語は既知のいかなる言語とも関係ないらしい。これはミノア語と呼ばれてきた。
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サントリーニ島アクロティリで発見された粘土板に刻まれた線文字A


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線文字A粘土板:カニア考古博物館


文字

線文字Aは数百の文字を持つ。それらは線文字Bに似た仕方で音節の、象形の、意味の内容を表すと信じられている。音節文字と想定されている文字の多くは線文字Bの文字と類似しているが、線文字Aの表語文字の約80%は独特である。線文字Aと線文字Bの間の音価の違いは9%から13%の間にある。

言語資料

線文字Aは主にクレタ島から発掘されてきたが、ギリシアやトルコやイスラエルの遺跡でも発掘された。現存の言語資料は、総計7362〜7396文字になる1427個の標本から成り、標準の大きさで考えれば、1枚の紙の上に置くことが出来るものである。

クレタ島

アイルス・ショープによれば、線文字A粘土板の主な発見はクレタ島の3つの遺跡であった。

  • 「メサラのハギア・トリアダで147個の粘土版。島の東端の港町ザクロ/ザクロスで31個の粘土板、島の北西の港町、カニアで94個の粘土板」

発見は、クレタ島の以下の場所でなされてきた。

  • アポウドゥールー、アルカネス、アルカロコリ、アルメノイ、
  • カニア、ゴウルニア、ハギア・トリニダ(最も多い貯蔵所)、カルダモウツァ、
  • カトー・シミ、クノッソス、コピナス、ララニ
  • マリア、モクロス、ユクタス山、ミュトス・ピュルゴス、
  • ネロクールー、パライカストロ、ペトラス、ペツォパス、
  • パイストス、プラタノス、ポロス、ヘラクリオン
  • プラッサ、プセイラ、プシクロ、ピュルゴス・テュリソス
  • シティア、スキニアス、スコティノ洞窟、トラオスタロス
  • トロウロス(またはトルロス)、ヴリュシナス、ザクロス
クレタ島以外

1973年以前は、クレタ島の外では1枚の線文字A粘土版しか見つかっていなかった(ケア島で)。それ以来、他の場所でも銘文が出土された。

フィンケルバーグによれば、クレタ島以外で発見されたほとんどの(全部ではないが)銘文はその地方でつくられた。これは銘文が書かれた材料の組成といった要素から示された。また、クレタ島以外で発見された銘文の綿密な分析は線文字Aと線文字Bの両方の要素が混合した両者の中間の文字の使用を示している。

年代学

線文字Aはクレタ神聖文字と同時期でありたぶんその子供であり、線文字Bの先祖である。クレタ神聖文字と線文字Aと線文字Bの順序と地理的な広がりは、重なっているが青銅時代のクレタと大陸ギリシアの区別出来る文字体系であり、以下のようにまとめることが出来る。

文字体系 地理的領域 時期
クレタ神聖文字 クレタ 約2100〜1700 BC
線文字A エーゲ海の島々(ケア、キテラ、メロス、テラ)と大陸ギリシア(ラコニア) 約2500〜1450 BC
線文字B クレタ(クノッソス)と大陸(ピュロス、ミュケーナイ、テーバイ、ティリンス) 約1450〜1200 BC

発見

その文字が、同じ時代に使われたクレタ神聖文字のより絵文字的で3次元的な文字と対照的に、粘土に掘られた線だけで出来ていたので考古学者アーサー・エヴァンスが文字を「線文字」と名づけた。
線文字Aに類似した文字が書かれたいくつかの粘土板がトローアス地方で発見された。それらの状態は論争中であるが、トローアス地方にミノア人が存在した証拠はないので、それらは輸入品だろう。これらの文字を(ロシアの言語学者ニコライ・カザンスキーが提案した)独自のトロイア文字と分類することは他の言語学者から受け入れられていない。

解読の学説

線文字Aの銘文を読むために参照するものがほとんどないため線文字Aの与えられた分析を評価するのは困難である。解読の最も単純な方法は線文字Aの音価が、ミュケーナギリシア語に用いられ、すでに解読された線文字Bに与えられた音価と多少とも一致していると仮定することであろう。

ギリシア

1957年、ブルガリア人学者ウラディミール・I・ゲオルギエフは「線文字Aで書かれたクレタ文書の解読」を出版し、線文字Aはギリシア語の要素を含むと述べた。ゲオルギエフは次に「線文字Aで書かれたクレタ文書の2つの言語」というタイトルの別の本を出版し、ハギア・トリアダ粘土板の言語はギリシア語であるが、残りの線文字A言語資料はヒッタイト・ルウィ語であったと示唆した。1963年12月、ハーバード大学のグレゴリー・ネイジーは「線文字AとBで同一の、または類似した文字は類似した、または同一の音価を表すだろう」という仮定に基づいて線文字AとBの用語の一覧を作った。ネイジーは、線文字Aの言語は「ギリシア語に似た」「印欧語」の要素を持つと結論づけた。

印欧語の独立の語派

ガレス・アラン・オウエン博士によれば、線文字Aはミノア語を表し、そのミノア語をオウエンは主にギリシア語に関係しているが、サンスクリットにもヒッタイト語にもラテン語などにも関係する印欧語の独立の語派と分類する。「クレタ文学センター」でオウエン博士は以下のように述べた。
「我々はクレタの山々の多くの山頂聖域で発見された奉献板に刻まれた線文字Aの文書から研究をはじめ、線文字Aと、インドの古代語であるサンスクリットの間の明白な関係に気づいたヒッタイト語やアルメニア語との関係もある。この関係はミノア語を、現代ギリシア語と古代ローマラテン語を含む広大な語族である、いわゆる印欧語族の中に位置づけることを可能にする。ミノア語とギリシア語は印欧語族の別の語派と考えられる。ミノア人たちはたぶん1万年前にアナトリアからクレタ島に移動した。ギリシアにも類似の人口移動があった。クレタに定住した人々の相対的な孤立が、ミュケーナイ語と異なると考えられるそれ自身の言語であるミノア語の発達をもたらした。ミノア語(線文字A)には、ミュケーナイの線文字Bの場合のような純粋なギリシア語はない。それはギリシア語、サンスクリット語ラテン語にも見られる語、つまり同じ印欧語起源を共有している語のみを含む」。

ルウィ語

1950年代後半から、線文字Bの音価に基づく理論が、線文字Aの言語はルウィ語に近いアナトリアの言語である可能性があることを示唆している。しかし、ミノア語の起源がルウィ語であるという理論は以下の理由から幅広い支持を得ることは出来なかった。

フェニキア

2001年、ジャーナルUgarit-Forschungen, Band 32はジャン・ベストによる「フェニキア語の最初の銘文―線文字AとBの母音の相違」という記事を掲載した。その記事は、どのように、そして、なぜ線文字Aはフェニキア語の古代形を記述したかを示すことを主張した。これはミノア語と西セム語との間の関係を発見しようとするサイラス・ゴードンによる試みの継続である。

インド・イラン語派

別の最近の解釈が、音節文字の頻度と古図像学的な比較研究に基づいて、ミノアの線文字Aは印欧語族のインド・イラン語派に属することを示唆している。ユベール・ラマリーによる研究は言語の形態学の提示を含み、線文字AとBの間の音価の完全な同一視を避け、線文字Aをクレタ神聖文字と比較するのも回避している。ラマリーは線文字Aで書かれた音節の型を同定するのに頻度を用いており、ボキャブラリの中の借用語の問題を考慮に入れている。しかし、ラマリーの線文字Aの解釈は、カンサス・ユニバーシティのジョン・ヤンガーによって拒絶された。ラマリーが気の向くままに多くのさまざまな筆記法(フェニキア語、神聖文字のエジプト語、神聖文字のヒッタイト語、エチオピア語、キプロ・ミノア語、など)との類似に基づいて誤った任意の新しい転写をでっちあげており、確立された証拠と内部分析を無視する一方で、若干の単語について神と儀式の名前をでっちあげて宗教的な意味を提案していたことを、彼は示した。ラマリーは2010年に「ジョン・G・ラマリーの線文字Aに関する発言への回答」で反論した。

ティレニア語族

イタリアの学者ジウロ・M・ファチェッティは線文字Aを、エトルリア語、ラエティ語、レムノス語から成るティレニア語族に結び付けようとした。この語族は紀元前2千年紀の印欧語族以前の地中海の基層であると推定され、ときにこれはプレ・ギリシア語として言及される。ファチェッティはエトルリア語と古代レムノス語とミノア語のような他のエーゲ海の言語との間の若干の類似性を提案している。マイケル・ヴェントリスはジョン・チャドウィックと一緒に線文字Bの解読に成功したが、彼もまたミノア語とエトルリア語の間の関係を信じていた。同じ観点はロシアのヤツェミルスキーによって支持された。

単語解読の試み

若干の研究者は、他の言語との関係についていかなる結論も(まだ)可能でないなかで、数語か単語の要素が認識されると示唆している。一般に彼らは音節の音価を提案するために線文字Bとの類似を使用する。ジョン・ヤンガーは特に地名は文書の特定の位置に通常現れると考え、提案される音価はしばしば線文字B文書(やときには現代のギリシア語の名前)で与えられる既知の地名に対応していると指摘している。例えば、彼はKE-NI-SOと読める3つの音節はクノッソスの本来の形であろうと提案する。同様に線文字AでのMA+RUは羊毛を意味し、この意味の線文字Bの絵文字と、同じ意味の古典期ギリシア語の単語μαλλός(この場合ミノア語からの借用語)と対応すると示唆している。