ハドリアヌス帝の回想 マルグリッド・ユルスナール

ハドリアヌス帝の回想 (ユルスナール・セレクション)

ハドリアヌス帝の回想 (ユルスナール・セレクション)

今、本棚に並んでいる順番に従えば、今回はハドリアヌス帝の回想ですが、紹介するのを躊躇します。これは私が非常に好きな本です。しかし改めてどこが好きなのかうまく言い表せません。それで、どこか気に入ったところを引用することを考えたのですが、いざ引用しようとすると、その部分にかなりの注をつけないとこの本の内容に詳しくない人には何を言っているのか伝わらないと思いました。それでも雰囲気だけでも伝わるかと思って引用します。以下は、どれも私が気に入っている場面です。

 トラヤヌスの対パルティア戦争に反対して四面楚歌になった状態でトラヤヌスの皇后プロティナに助けられた場面

まさにそのころであった、わたしのもっとも聡明な守護神----プロティナが現れてくれたのは。
(中略)
彼女の容姿や物腰は、ローマの壮麗な建造物よりもさらに古いこの宮殿といささかもそぐわぬものではなかった。この成り上がり者の娘はセレウコス王家のうちに住むにいともふさわしかったのである。

トラヤヌス帝の死(と不明確な後継者指名)によって自分が皇帝になった場面

 わたしが到着してほどなく、遺骸は、いずれローマで行われるはずの凱旋葬までの仮の儀式によって、海岸で火葬された。夜明けに行われたこの簡素な儀式にほとんどだれも立ち会う者もなく、トラヤヌスを個人的に長らく世話してきた婦人たちの家庭的な最後の奉仕のひとこまにすぎなかった。マティディアは熱い涙にむせび、火葬の薪の炎に揺れる空気はプロティナの顔かたちを曇らせゆがませた。平静でよそよそしく、熱病のため幾分やつれた彼女はいつものように冷徹で計り知れなかった。アティアヌスとクリトンはすべてがしかるべく燃え尽きるまで見守った。小さな煙が、翳りない朝の青白い大気のなかにひろがって消えた。
 わたしの友のだれ一人として、皇帝の死に先だつ数日間のできごとについて口にする者はなかった。彼らの掟は明らかに沈黙を命じていたし、わたしの掟は危険な質問をせぬことを命じていた。

皇帝として統治初期の感慨

 もはやローマの内にローマはない。ローマは滅びるか、さもなければ世界の半分と等しいものになるか、いずれかである。

「黄金時代」という章の冒頭

 オスエロスとの会見につづく夏を小アジア地方で過ごし、国有林の伐採を親しく監督するためにビティニアに足をとめた。明るい、教化のゆき渡った、健全な町ニコメディアでは、この地方の代官クネニウス・ポムペイウス・プロクルスの屋敷に滞在した。その屋敷はその昔のニコメディアの王の宮殿であって、若き日のユリウス・カエサルの逸楽の思い出に満ちていた。プロポンティスからの微風が涼しい陰深い広間に吹きこんでいた。趣味人のプロクルスは私たちのために文学的な集いを催してくれた。

アテナイでのオリンピエイオンの落成式で

 一瞬の憂鬱がわたしの心をしめつけたのはその時だった。----わたしは成就とか完成とかいう語がそれ自体終末の観念を含むものと考えていた。おそらくわたしはすべてをむさぼり尽くす「時」にもうひとつ余分の餌食を与えたにすぎないのであろう。

ユダヤ反乱をからくも鎮圧したあと船でローマに戻る時

 帰途は多島海を通り、わたしは疑いもなくこれが今生の見おさめとなるであろうが、紺碧の海に飛びはねる海豚を見守った。もうこの時は予兆を読みとろうなどとも思わずに、渡り鳥の長い整然たる飛翔をながめた。鳥たちは時おり船の甲板に親しげにとまって翼を休めた。人間の皮膚のうえの塩と陽光のにおい、そこに住みたくなるような、そしてそこに立ち寄らぬことがあらかじめわかっているような島々の乳香と松の香りを、わたしは存分に吸い込んだ。(中略)
 星はひとつずつ、きまった場所へと上っていった。(中略)
 わたしは自分にいった----ローマでわたしを待っているたいせつな用事が二つある、一つはわたしの後継者をえらぶこと、これは全帝国の関心事である。もうひとつはわたしの死、これは自分にしかかかわりのないことだ、と。

私はこの本が好きだ、としか私には書けません。私のボキャブラリーが貧弱なのです。