日本書紀(二)

この巻は、垂仁天皇から安康天皇までを扱います。仰々しく原書の巻名で記すと

となります。
この巻における私の興味は、日本の4世紀、5世紀がこの巻の記述から見えるかどうか、です。これは専門家の間でも大きく意見が分かれるようです。日本書紀に載っている系譜にかなりの信憑性を置く人から、ほとんど信憑性を置かない人までいるようです。私が若い頃読んだ本では、実在の確かな天皇応神天皇からで、彼はおそらく「倭の五王」の「倭讃」にあたるだろう、ということでした。しかし、「倭讃」については仁徳天皇という説も、履中天皇という説もあるようです。一方、系譜に信憑性を置かない人々は、そのような推定をしません。私は、あまり信憑性を置かないほうに加担します。
私のもうひとつの興味は、さきの興味から派生したものですが、古代の日韓関係です。日本書紀の主張は、神功皇后の時に日本は新羅を征伐し、新羅百済高句麗を属国にしたというものです。これがどの程度現実なのか、現実はどうであって、それがどのようにしてこのような話になったのか、という点に興味を持ちます。もちろん、この話は韓国の人にはおもしろくない話であって、そのナショナリズムを刺激します。両国の(多くは無意識のうちの)ナショナリズムが災いして、このあたりの解明はまだ出来ていないように思えます。


仮に自分が韓国人だとして日本書紀神功皇后のところを読んだとしたら、トンデモ本と思うでしょう。物語はこうなっています。
仲哀天皇神功皇后を伴って熊襲(九州南部)と戦っていたがなかなか決着がつかない。その時、神功皇后が神憑って言うには
「心配するな、熊襲はつまらない国だ。海の向こうに宝の国があって新羅という。私を祭ってくれるならば、その国をやろう。」と。
ところが仲哀天皇はそれを信じない。すると天皇は急死してしまった。神功皇后は、これは神々に従わなかったせいだと思い、神々をまつって新羅に遠征に行った。すると風と魚が船をぐんぐん進めて行き、そのまま国の中ほどまで海の水が入ってしまった。びっくり仰天した新羅の王は、戦わずして降伏し、以後、日本に朝貢することを誓った。


これだけならたわいのない話、ということになるのですが、その後の日本書紀の記述にはところどころ、韓国の地名・人名が出てきて、これらの地名・人名は机上の創作ではなさそうです。そうすると、何かそのもとになったものがありそうです。そこのところが気になります。この話をし出すと長くなりますので、一旦、ここでやめます。