浦島太郎はどこへ行ったのか

浦島太郎はどこへ行ったのか

浦島太郎はどこへ行ったのか

おもしろい本でした。浦島太郎の伝説を実地調査していく、もう真面目に日本中を旅する、それだけでなく中国にまで竜宮城を探しにいく・・・・そのバイタリティーが意外な風景を切り開いていくのがおもしろいです。民俗学とか神話学とかそっち関係の本というよりも旅行記としておもしろいです。昔話だろうとたかをくくっているうちに「あっ!」とビックリさせられることがいくつか出てきました。この著者は、ある時浦島太郎が実在の人物だったの知って、これは調査しなければと思ったそうですが、実在の人物というのは言い過ぎだろうとは思います。しかし著者が指摘するように浦島太郎は何と日本書紀に登場しているのです。しかも竜宮城らしきところ(日本書紀では「蓬莱山」と書かれている)に行った年まで分かっています。それは雄略天皇22年。西暦に直すと478年。

二十二年の春正月の己酉の朔に、白髪の皇子を以て皇太子となす。
秋七月に、丹波国の余謝郡(よさのこおり)の管川(つつかわ)の人、瑞江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)、舟に乗りて釣す。遂に大亀を得たり。便(たちまち)に女と化為(な)る。是(ここ)に、浦嶋子、感りて婦(め)にす。相逐(あいしたが)ひて海に入る。蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙衆(ひじり)を歴(めぐ)り覩(み)る。語(こと)は、別巻に在(あ)り。


岩波文庫日本書紀(三)」より

私はこの頃の時代の日本書紀の年代がそれほど正確ではないと思っているのですが、しかし日本書紀は歴史書として書かれたのですからこの記事には何か重要な意味があったのでしょう。著者はこの年号について次の指摘をしていて、それを読んで私は驚きました。この年は雄略天皇と思われる倭王武が中国南朝の宋に使者を出した年なのです(『宋書倭国伝』による)。さらに、伊勢外宮の主神 豊受大神丹波から今の外宮の位置に移されたのもこの年なのです(804年の『止由気宮(とゆけのみや)儀式帳』による)。いったいこれは何なのか? いったい何を意味するのか? 残念ながら著者のこの本での結論は私にはあまり説得力がありません。この本に謎の究明を期待しないほうがよいでしょう。それよりも著者がいろいろな人に出会う話が面白いです。


著者は「浦島太郎を追いかけてここにたどり着きました」と自己紹介すると、たいていの人は打ち解けてくれると言います。浦島太郎が乗った亀の種類を調べたり(縄文時代の遺跡からの出土物を見せてもらって、その中から亀の骨らしいものを探しています。私はそれは時代が違い過ぎないか、と突っ込みを入れたくなりますが)、ウミガメの卵を守る活動をしている人からその苦労を聞かされてこの人は現代の浦島だと思ったり、出会った浦島太郎関係者(?)と酒盛りしたり、いろいろな浦島伝説のバリエーションを聞かされたり玉手箱を見せてもらったり、日本には浦島太郎を名乗る人がいる(町おこしみたいなものですが)というのも初めて知りました。こう書くとバイタリティーだけでぐいぐい話を持って行っているようにみえますが(また、そのように見せるのが著者の意図のようですが)かなり珍しい文献まで調べていて驚きます。一見バカバカしいことを真面目に調査している、そしてそれが最初思ったほどバカバカしい話ではなくなっていく、というところが魅力的です。


著者は先ほど紹介した伊勢外宮の遷座の年との一致から、伊勢にもやってきて浦島太郎の痕跡がないか調べています。残念ながら目ぼしい成果はあがらなかったようで、このところは私も読んでいて残念でした。



そういえば桃太郎やかぐや姫も、調べると奥が深そうです。桃太郎はどうも古代吉備王国と関係があるという話を何かで読んだことがあります。かぐや姫については私は10代の頃「かぐや姫の誕生」

という本を読んで、その伝説の背景が中国から東南アジアに広がることを知りました。