ギリシア

キクラデス諸島の歴史:3 ローマ帝国とビザンティン帝国。3.2 ビザンティン時代

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 3.2 ビザンティン時代 3.2.1 行政組織 ローマ帝国が分裂したとき、キクラデス諸島の支配権はビザンチン帝国に渡され、13世紀まで保持された。 当初、行政組織は小さな属州に基…

キクラデス諸島の歴史:3 ローマ帝国とビザンティン帝国。3.1 ローマ支配下のキクラデス諸島

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 3 ローマ帝国とビザンティン帝国 3.1 ローマ支配下のキクラデス諸島 BC 3世紀からのローマのギリシアへの介入にはたくさんの理由がある。イリリアの諸都市からの助けを求める…

キクラデス諸島の歴史:2 幾何学文様時代、アルカイック時代、古典時代。2.4 ヘレニズム時代

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 2.4 ヘレニズム時代 2.4.1 ヘレニズム王国間で係争中の群島 デモステネス [50]とディオドロス・シクロス[51]によると、テッサリアの僭主フェライのアレクサンドロスは、BC 362…

キクラデス諸島の歴史:2 幾何学文様時代、アルカイック時代、古典時代 2.1〜2.3

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 2 幾何学文様時代、アルカイック時代、古典時代 2.1 イオニア人の到来 イオニア人はBC 10世紀頃に大陸から来て、約3世紀後にデロス島に偉大な宗教的聖域を設立した。アポロン…

キクラデス諸島の歴史:1 先史時代。1.3 ミノア人とミュケーナイ人

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 1.3 ミノア人とミュケーナイ人 アクロティリ(サントリーニ島)のフレスコ画にある船隊は、BC2千年期のキクラデスの植民をも示している。 クレタ人はBC 2000年期のあいだにキ…

キクラデス諸島の歴史:1 先史時代。1.2 キクラデス文明

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 1.2 キクラデス文明 女性の頭部の像、ケロス・シロス文化、初期キクラディックII(2700–2300 BC)、ルーブル 19世紀の終わりにギリシア人考古学者クリストス・ツンタスは数多…

キクラデス諸島の歴史:1 先史時代。1.1 新石器時代

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 トップページ 1 先史時代 1.1 新石器時代 黒曜石の塊 キクラデスでの人間の活動の(しかし必ずしも居住ではない)最も古い痕跡は、島自体からではなく大陸で、アルゴリス地方のフランチティ…

キクラデス諸島の歴史

これは英語版Wikipediaの「History of the Cyclades」の拙訳です。 キクラデス諸島の歴史 キクラデス諸島は、エーゲ海の南部に位置するギリシャの島々である。群島には約2,200の島と岩礁が含まれているが、33の島だけに人が住んでいる。古代人にとってそれら…

エーゲ海のある都市の物語:デロス島(3):ヒュペルボレオイ(極北人)

アポロンは誕生するとすぐにヒュペルボレオイの国に赴きました。ヒュペルボレオイというのは「北風(ボレアス)の彼方の住民」という意味です。ギリシア語のヒュペルはアルファベットで書けばhyperで、英語で言うところのハイパーです。「超」とでも訳したら…

エーゲ海のある都市の物語:デロス島(2):アポロンの誕生

デロス島でアポロンが誕生した次第は、ホメロス風讃歌の中の「アポロンへの讃歌」で歌われています。四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤 102-6)作者: 逸身喜一郎,片山英男出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1985/11/18メディア: 文庫 …

エーゲ海のある都市の物語:デロス島(1)

今まで「エーゲ海のある都市の物語」は、小アジアのミレトスとハリカルナッソス、レスボス島のミュティレネの3つの古代都市について書いてきたのですが、「エーゲ海」と書きながら、その東側に片寄っていました。そこでエーゲ海のど真ん中の都市を取り上げ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(14):ハリカルナッソスのディオニュシオス

アルテミシアが死んだあとハリカルナッソスを首都とするカリア国は、その兄弟たちが順に統治を続けますが、やがてマケドニアのアレクサンドロス大王の軍門に下ります。アレクサンドロスはヘカトムノスの娘アダにカリアの統治を委ねました。その後のハリカル…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(13):ヘカトムノスの一族

ハリカルナッソスはBC 454年までにはアテナイを中心とするデロス同盟に参加し、BC 431年からのペロポネソス戦争において一度もアテナイに対して反乱することなく、BC 404年のアテナイの敗戦までデロス同盟に留まっていました。トゥキュディデスの戦史にはハ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(12):ヘロドトス(2)

ヘロドトスの生涯については、岩波文庫の「歴史」の(下)で、訳者の松平千秋氏による解説の中に書かれていましたので、(昭和47年=1972年 と古いですが)それを抜粋して紹介します。 (一)ヘロドトスの生涯――その生涯について知られるところは極めて少ない…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(11):ヘロドトス(1)

私の「エーゲ海のある都市の物語」の元ネタのほとんどはヘロドトスの「歴史」という本です。この話題でいかにもいろいろ知っているようにブログに記事をアップしていますが、この本がなければほとんど何も書けません。 そのヘロドトスはハリカルナッソスの出…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(10):サラミスの海戦以後

クセルクセス自身は戦いに参加せず、アイガレオス山の麓に玉座を据えてこの海戦を観戦していたのですが、自分の軍の負けを悟ると、一刻も早くギリシアから撤退したいと思うようになりました。その様子を見ていた将軍のマルドニオスは、 王にギリシア遠征を説…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(9):サラミスの海戦

その後のサラミスの戦いの状況は、アイスキュロス作のギリシア悲劇「ペルシアの人々」の中で、敗戦をペルシアの首都スサに伝える一人の使者の言葉として、叙述されています。この悲劇が上演されたのは、この海戦から8年後のことです。その上演を見るアテナ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(8):アルテミシア(2)

さて右の全部隊がアテナイ地区に達したとき(中略)クセルクセスは水軍の将士たちと接触しその意見を知りたく思い、自ら船団を訪ねた。クセルクセスが到着して最上席に坐ると、船団からは召しに応じて各国の独裁者と部隊長が参集し、王の定めた序列に従って…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(7):アルテミシア(1)

BC 499年のイオニアの反乱にハリカルナッソスは参加していなかったようです。ヘロドトスの記述にはハリカルナッソスだけでなく、近隣のドーリス人の町の名前すら登場しません。ただ近隣のカリア人は反乱に参加し、一度はペルシア軍を殲滅しています。それで…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(6):エジプトの傭兵としてのギリシア人

ハリカルナッソス人がエジプトに行って傭兵になるようなことが始まったのはいつなのでしょうか? これについて答を見つけられませんでしたが、近くのロドス島の住民はすでにプサンメティコス2世の時代(BC 595-589)に傭兵としてエジプトに行っていたようで…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(5):傭兵隊長パネス

ペルシアの2代目の王カンビュセスの治世の頃の話です。当時、カンビュセスはエジプト征服を企んでいましたが、当時のエジプト王はアマシスでした。 さて、アマシスは、ギリシア人とカリア人を傭兵として重用していました。エジプトがギリシア人とカリア人を…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(4):リュディアとペルシアへの服属

ハリカルナッソスの初めの400年ぐらいの歴史は皆目分かりません。どんな王が君臨していたのか、レラントス戦争には参加したのか、政治体制はどう変わっていったのか、キンメリア人の侵攻を受けたのか、ネットを調べても本を読んでも分かりませんでした。そこ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(3):カリア人

ハリカルナッソスではギリシア人だけでなくカリア人の社会もあるのでした。これはその町の成り立ちに原因があるかもしれません。 ハリカルナッソスの建設はミュティレネの成り立ちに似ていて、最初は本土にほど近い小島をギリシア人が占拠します。この島はゼ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(2):ハリカルナッソスの建設

ハリカルナッソスの起源について英語版のWikipediaは以下のように書いています。 ハリカルナッソスの建設はさまざまな伝承の間で議論されているが、それらは、ハリカルナッソスがドーリア人の植民市であるという主要な点については意見が一致しており、その…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(1):ドーリス人の植民

古代、エーゲ海に拡がっていったギリシア人は北から南へ順に、アイオリス人、イオニア人、ドーリス人、の3つの種族に分かれていました。これまでイオニア人の都市ミレトスとアイオリス人の都市ミュティレネの物語を書いてきたので、今度はエーゲ海のギリシ…

アイオリス人の植民

「エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(3):アイオリス人の到来」を書く前に見ておけばよかったという記事を英語版のWikipediaの「First Greek colonisation(第一次ギリシア人植民)」の記事の中に見つけました。以下はその拙訳です。 アイオリス人…

エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(23):最終回

アレクサンドロス大王が後継者を指名せずに若くして亡くなると、大王の部下たちが自分こそはアレクサンドロスの後継者と名乗って争い、大王の帝国は分裂し互いに侵攻を繰り返す、いわゆるヘレニズム時代になるのですが、その間にミュティレネがどの国の支配…

エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(22):アリストテレスとテオプラストス(2)

さて、アリストテレスとテオプラストスがミュティレネにやってきた経緯はといいますと・・・・まず、BC 347年に師のプラトンが死去します。するとアリストテレスはアカデメイアを飛び出し、アテナイ市内からも飛び出して、小アジアにあるアッソスへ移住して…

エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(21):アリストテレスとテオプラストス(1)

BC 427年のミュティレネの降伏ののち、もうそのあとには、ミュティレネが中心となるような事柄は起らなかったようです。それでもミュティレネは背景としてはまだ歴史に登場します。さて話はミュティレネの降伏から82年後のBC 345年まで下ります。その年、2…

エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(20):ミュティレネの反乱(3)

反乱勃発の翌年BC 427年の夏、スパルタはアルキダス率いる40隻の艦隊をミュティレネへと送り、それと並行してアッティカ*1に侵攻し、その地を荒らし回りました。しかしこのミュティレネへ向う艦隊は、途中の航路で難渋してしまい、時機を逸してしまいました…