デカルトの夢

デカルトの夢、として有名なデカルトの見たあやしげな3つの夢のことを紹介します。この夢の詳しい記述は伝記作者バイエの「デカルト殿の生涯」に出てくるそうですが、私には原典を読む能力がありません。また、この夢の詳しい内容は田中仁彦氏の「デカルトの旅/デカルトの夢」というおもしろい本に紹介されていましたが、その本は私の手許にはありません。今日、ご紹介するのはそれより記述が省略されていますが、種村季弘氏の

怪物の解剖学 (河出文庫)

怪物の解剖学 (河出文庫)

所収の「少女人形フランシーヌ」(初出:「ユリイカ」昭和48年5月号)からの引用です。
この夢を見たのは1619年で、その時のデカルトは23歳、まだ無名であり、しかもドイツに滞在していました。

 驚くべき学問(スキエンティア・ミラビリス)を発見した日の夜、デカルトは眠りについてまもなくなにか幻像(ファントム)を見たように思い、その幻に慄然とした。彼は道を歩いているようなのだが、幻の威力がすさまじいのでたえず左側に投げ出されるような感じがする。「右側が大層弱い感じで、立っていられない」のである。なおも勇を鼓して進んで行くと、今度ははげしい風が吹き起こったように思われ、そのために左足を軸にして三、四回くるくると回転した。歩行はますます困難になり、一足毎につんのめりそうである。すると行手に神学校の建物が見え、彼はなんとか神学校の教会のなかに逃げ込み、そこで祈りをささげてこの難渋を逃れようと思う。このときたまたま知人が通りかかって彼に挨拶をしたので、振り向いて挨拶を返そうとするが、風が教会の方に向って吹いているので思うようにいかない。一方、神学校の校庭には別の男がいて、名指しで彼を丁重に招きながら、N氏に会いにゆくと向うが何かくれるはずだ、という。その何かというのは、デカルトの感じでは、異国から運ばれてきたメロンにちがいないような気がする。風はいくぶんおさまっていたが、それでもデカルトは歩行にまだ困難を感じている。ところが、驚いたことに校庭で先の男と一緒に彼を取り囲んでなにやらお喋りに興じている大勢の男たちは、直立しているのになんの努力もいらないようなのである。

これが第一の夢です。第二の夢は短いもので

はげしい物音が聞こえたように思い、愕然として飛び起きたのであった。物音は雷鳴のようだった。

というものです。デカルトの3番目の夢は以下のとおりです。

夢のなかで机の上に誰が置いたとも知れぬ一冊の本が彼の目にとまる。めくってみるとどうやら辞典であるらしく、役に立ちそうなので夢中になる。すると手元にもう一冊これも見知らぬ書物が見つかり、こちらは詞華選らしく、「詩人大成(コルプス・ポエタルム)」の表題が読める。開いたところから読みはじめるとQuod vitae sectabor iter?(ワガ生ノ道ハイズレニ従ウベキカ?)という句が目にとまる。このとき見知らぬ男が一人いるのに気づくが、男はEst et Non(然リト否)という言葉ではじまる詩を彼に差し出して、これは傑作なのだとしきりに賞めたたえる。デカルトはそれがアウソニウスの牧歌の一節であることを知っており、例の詞華選のなかにもそれが入っているはずなので、男にそういって自分で本のなかを探しはじめると、相手がその本はどこで手に入れたのかと彼に尋ねる。彼は、どうやって手に入れたかはいえないと答える。ところで、彼は一瞬前までもう一冊の本も手にしていたのだが、誰かが取っていってしまったのか、その本はいつのまにか消えている。だが、相手に詩集の入手経路の件を答えているうちに、それがまた机の向う端に現われてきたではないか。しかし辞典はなにがしか以前とは様子が変っているように思える。さて、デカルトはその間中なおもEst et Nonではじまるアウソニウスの詩を探しているのだが、それがどうしても見つからないので、男に向って、アウソニウスのもっと美しい詩を自分は知っている、それはQuod vitae sectabor iter? ではじまる詩だ、というと、相手はそれを見せてくれないかと応じる。そこでデカルトはまた本のなかを探しはじめるが、どういうわけかどの頁も人物肖像の銅版画がびっしり印刷してあるだけである。そこでデカルトは、この本は大変美しいけれどもどうやら自分の知っている版とは違うようだ、と説明しながらなおも問題の箇所を探しつづけているうちに、いつしか本も男も消え去り、そこでようやく目が覚める。

これらの夢の意味は判然としません。しかし、この時、デカルトのいたドイツでは薔薇十字団のことが世間の話題になっており、デカルトもその団員に接触しようとしていました。であるならば、これらの夢は何か隠れた意味を持っていそうです。特に最初の夢は、「(クリスチャン=ローゼンクロイツの)化学の結婚」の冒頭と似た雰囲気があります。