北畠親房、伊勢に失われたアークを探す(1)

北畠親房(きたばたけちかふさ)は著書「神皇正統記」で有名な南北朝時代の政治家ですが、彼が日本の失われたアークとも言うべき「天の瓊矛(ぬほこ)」を探していた話はあまり知られていないと思います。というか、まず「天の瓊矛(ぬほこ)ってなに?」というのが普通の人の反応ですよね。
そもそも「天の瓊矛」とは鎌倉・室町時代の日本神道思想の秘儀的な文書に出てくる聖なるモノなのですよ。簡単に言えば、日本の大元、国の根底・根拠と考えられていたモノなのです。

天御中主神の詔を受けて皇孫尊は天降りし、鬼神を平らげ天下を治めた。そのときの霊異の物に、三百六十種の神宝がある。いわゆる八坂瓊曲玉・矛・玉裳・比礼(ひれ)・天の衣・白銅鏡(ますのみかがみ)・神剣の類(たぐい)である。この三百六十種の中で、もっともすぐれているのは天の瓊矛である。


山本ひろ子著「中世神話」に引用された「仙宮院秘文(せんぐういんひもん)」より

「皇孫尊(すめみまのみこと)」というのは、ヒコホノニニギのみことのことで天皇家の祖先にあたる神です。今では神器と言えば天皇家に伝わる三種の神器、すなわち、鏡、曲玉、剣、だけが有名ですが、この時代では三種の神器のほかにも多くの神宝があるとされ、その中でも一番すぐれているのが「天の瓊矛」なのでした。ではなぜ「天の瓊矛」はそんなに大切なのか、と言えば

大八州(おおやしま)が生まれる以前に、「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国」という名があったが、形相はなく、あえてその形を表現すれば、「天の瓊矛」である。大八州は、天の瓊矛から成った・・・・・。


山本ひろ子著「中世神話」に引用された北畠親房の「元元集」より

というように、天地開闢の始めに現われたのが「天の瓊矛」だったからです(このあたり中世神話が記紀神話と異なっているところです)。松竹映画が富士山の絵から始まるように、日本の国の始めはこの「天の瓊矛」の出現からどど〜んと始まります。なぜ矛なのか、という疑問も受け付けずとにかく瓊矛から始まる。そこで、北畠親房は一度は考えたに違いないのです(これは山本ひろ子さんではなく私の推測)「この日本の根本原理たる天の瓊矛が正統な持ち主の手にもたらされた時、南北朝の戦乱も終るであろう」と。なぜなら

代(よ)くだれりとて自ら苟(いやし)むべからず。天地の始は今日を始とする理なり

天地の始めの原理原則は戦乱の現在においても生きている、その原理を発揮させるには、天地の始めの時と同じように、根本の神器が正統な持ち主の手に戻っていなければならない、と彼は考えるからです。
ではその戦乱を収拾する「天の瓊矛」はどこにあるのか? インディー・ジョーンズならばここから探検と冒険が始まることになるのですが、残念ながら北畠親房公家の出身、探検も冒険も書物の中、ということになってしまいます。それでも伊勢にはやってきて、伊勢神宮外宮の神官、度会家行からいろいろ秘伝を受けているようです。


山本ひろ子さんの上記の本には、こう書かれています。

 天の瓊矛は地上にもたらされたのか? 本当に皇孫が携えたのか? この問題に執拗なまでに関心を寄せた人物がいた。北畠親房である。


山本ひろ子著「中世神話」より

つづく。*1(2)へ。)

*1:id:sap0220さんのコメント「うーん、しかし個人的に伊勢神宮のウンチクが聞きたい。」http://d.hatena.ne.jp/CUSCUS/20081024/p1#c1224810499 に応えようとして気張り過ぎてしまったわい。これ、どうやって(2)につなげるんだろう?