「サイバネティックス」という本の「第2章 群と統計力学」(2)

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次に進むとエルゴード理論の話題が出てきます。

 ギブスの統計力学には時間平均と位相平均の両方が出てくる。

この「位相平均」という言葉は、「エルゴード性とは?(1)」で私が「集合平均」と呼んだものと同じと考えてよいでしょう。

これら2種類の平均が、ある意味では同じであることを示そうとしたのはギブズの卓見である。これら2種類の平均が、たがいに関係のあるものであると考えた点では、ギブズは完全に正しかったが、その関係の示しかたにおいては彼は完全にまちがっていた。この点について彼をあまりに批難することは当らない。彼が死んだころ*1でさえ、ルベーグ積分の評判がやっとアメリカに伝わってきたばかりであり・・・・。1930年ごろになって初めて、クープマン(Koopman)、フォン=ノイマン、バーコフ(G. D. Birkohff)のような数学者達が、ついにギブズの統計力学に正しい基礎をあたえたのである。われわれは後に述べるエルゴード理論の研究のところで、それらの基礎とは何であるかを知るであろう。

この基礎というのは、あとで出てくるバーコフの個別エルゴード定理とフォン=ノイマンの平均エルゴード定理のことです。これによって「確率1で」時間平均と集合平均が等しいことが示されます。「確率1で」というところがミソです。「確率1で等しい」というのは事実上必ず等しいということですが、厳密に言えば「等しくない場合が存在することには存在するのだが、幸いその確率は無限小である」ということを意味しています。
たとえば、0から1までの実数の中から1つランダムに数字を選んだ時にそれが有理数である確率はどれだけでしょうか? それが無理数である確率はどれだけでしょうか? 有理数無理数も無限にありますが、無限の濃度(個数)が異なります。有理数の濃度(個数)は可算無限\aleph_0無理数の濃度(個数)は連続体無限2^{\aleph_0}です。つまり、無理数のほうが有理数よりも圧倒的に多いのです。よってランダムに数字を選んだ時にそれが無理数である確率は1です。しかし、これは、0から1までの実数の中に有理数が存在しない、ということを意味しません。
このような「確率1で等しい」という概念がギブズには知られていなかったのです。

ギブズは物理数学的な勘が論理に先行し、一般には正しい結論に達するけれども、どのようにして、また何故、それが正しいのか説明がしばしばできなかった学者の一人であった。


そしてエルゴード理論を理解するには、変換群の概念の検討が必要である、とウィーナーは論を進めます。これがこの章のタイトルが「群と統計力学」になっている理由のようです。

エルゴード理論の真の意義を理解するには・・・‘平均’および‘測度’・・・の概念の他に、‘不変量’の概念と‘変換群’の概念とをもっと詳細に分析しなければならない。

変換とは、ある集合の要素をその集合の別の要素に対応づけることを言っています。写像と言ってもよいでしょう。例えば、2次元の図形に対して平行移動するのも一つの変換ですし、拡大したり縮小したりするのも一つの変換です。ある点の周りに回転させるのも変換です。もう少し厳密に言いますと、図形をX方向に1移動させるのと、2移動させるのは別々の変換になります。このような変換は群論でいうところの群を形成します。この変換群の概念は物理法則と根本的なところで関係があるらしいのですが、ウィーナーがそこで言っていることが私には今ひとつ理解出来ていません。

物理学の有用な法則の本質は、それが前もって明示し得るものであり、かつそれが1回限りでなく、たくさんの場合に適用されるということである。理想的にいえばこの法則は、一群の特殊な環境のもとで変化しない性質を表わすものでなくてはならない。最も簡単な場合には、系のうける‘変換’の集合に対して‘不変’であるような性質がそれである。このようにして、われわれは‘変換’‘変換群’‘不変量’の概念に到達する。

ウィーナーは「・・・の概念に到達する。」と書いていますが、残念ながら私は到達出来ません。


「サイバネティックス」という本の「第2章 群と統計力学」(3)」に続きます。