ローマは1日にして滅びず(1)

「ローマは1日にして成らず」という言葉はときおり聞かれる言葉ですが、ひねくれ者の私は「ローマは1日にして滅びず」という言葉を打ち出したい、と思いました。そして、このシリーズではローマが滅びそうになりながら滅びずに存続していく様を叙述したい、と思っています。もとより文才のない私ですからどうなることやら分かりませんが、読んでおもしろいと思う方が少しでもみえたら、うれしいです。

紀元378年

西ゴート族のドナウ渡河

さてさて、紀元は378年、西ゴート族ドナウ川を渡って大々的にローマ帝国側に入り込む、という事件がありました。民族大移動の皮切りとされる事件です。これは西ゴート族にも重々同情すべき事情があります。発端は獰猛残忍なフン族が東からやってきて、今のウクライナあたりにいたゲルマン民族の一部であるゴート族を襲ったことでした。同時代の歴史家エウナピオスは「打ち破られたゴート族はフン族により滅ぼされ、大部分は死んだ。捕虜になった者は女・子供もろとも虐殺された。処刑の残酷さは限度をしらなかった。」と書いています(クセジュ文庫「アッチラとフン族」ルイ・アンビス著 より)。


東ゴート族フン族に征服されたのを見た西ゴート族は、今度は自分たちの番だと悟り、逃げて逃げて逃げまくってローマ帝国との境界であるドナウ川にたどり着いたのでした。そして対岸のローマ帝国の国境守備軍に、川を渡らせてもらうように哀願しました。守備隊長はローマ皇帝の許可が必要だとして皇帝ヴァレンスの判断を仰ぎます。皇帝ヴァレンスはゴート族の渡河を許可しましたが、守備隊や役人たちがゴート族の弱みにつけ込んで財産を身ぐるみ奪い、頑丈な若者や美しい娘を奴隷にするなどしたということです。ゴート人たちはついにローマに対して暴動を起こします。(そんなことはなくて、ローマが親切にしてやったのにゴート人は単に野蛮人だから略奪をはじめちゃったんだよ、と説明する人もいます。)



皇帝ヴァレンスはかっとなって、自ら出陣し、この暴動を鎮圧しようとローマ軍を率います。両軍はハドリアノポリス(現在のトルコのエディルネ)近郊で激突。ローマ軍は大敗します。皇帝ヴァレンスは負傷してある小屋に身をひそめましたが、ゴート族の兵士が中に誰がいるのかも知らずにこの小屋を焼き払ってしまいます。皇帝ヴァレンス焼死。ゴート軍は健在。略奪を繰り返しながら帝都コンスタンチノープル目指して進みます(このあたり藤沢道郎著「物語 イタリアの歴史」の「第1話 皇女ガラ・プラキディアの物語」によります)。



それでもローマは滅ばない。実はこの頃ローマ帝国は東と西に分かれていてヴァレンスは東の皇帝でした。西の皇帝グラティアヌスは東の皇帝に、スペインに隠棲していた有能な軍人テオドシウスを指名しました。後世、大帝と呼ばれるテオドシウスです。このテオドシウスの会戦と交渉の硬軟とりまぜた対応により西ゴート族との間に妥協が成立します。西ゴート族は帝国の一部トラキア州(現在のブルガリアのあたり)を与えられ、そこに定住することになりました。そのうえ、西ゴート族の2人の首長アタナリックとアラリックは皇帝テオドシウスの側近に採り立てられたのです。ローマ帝国しぶとい。